きのこの部屋

読後メモやお寺の中のジェンダーなどなどについて書いてます。

読後メモ「差別はたいてい悪意のない人がする」~マイノリティの私とマジョリティの私~

「差別はたいてい悪意のない人がする」という本に出会いました。読んでいたら刊行記念のオンライン参加可能なイベント「悪意のないマジョリティとは誰か」を見つけたのでそれまでに猛ダッシュで読んだのですが、本とイベントを通して感じたことを書き留めて置きたいとおもいます。

 

「ある」ことを「ない」ことにしないために

正直、差別について書くのはとても緊張します。学んでも学んでも自分の中に「差別」があるという気づきの連続だし、「悪意のない」のがたちが悪いということは自分の体験からわかってもいるので、書いてる中で私が悪意なく誰かを差別していないかと思ってしまう。

でも、オンラインイベントで「マジョリティはその場を立ち去る特権がある」という言葉や、「子どもをレイシストに育てるためには差別について語らないこと」

だから日本はレイシストが育つ環境だというのを聞いて、「ある」ことを「ない」ことにしないためにもこうして書いておこうと思いました。

私が差別について知りたいのは、もともと私の中にたくさんの差別要素があると知っていて、それと同時に差別したくないとも思っているからです。

そしてやっぱり、学び続けるほどに自分が気づかずにいたことや当たり前だと片付けていたことが差別だと気づくことが多いです。自分の中にいる差別主義者に会うその瞬間はショックだけれど、そのままでは嫌なので知っていきたいのです。

 

鳥かごという装置

今回この本を読み始めたのは「差別したくない」側からだったのだけど、読み始めたら差別される側の私のセンサーが言葉に反応しまくりました。そんなつもりではなかったので驚いたけれど、感じたことは感じたことなので書いておきます。

例えば…

「構造的差別は、差別を差別ではないように見せる効果がある」、差別によって「デメリットをこうむる人さえも、秩序に従って行動することで、みずから不平等な構造の一部になっていくのである。(本文より)

私は結婚してから夫の仕事を手伝うようになったのだけど、その立場にとても苦しんできました。それってもうまさにまさにまさに、この一文で表されていることそのものなのです。

pompom-kinoko.hatenablog.com

 


第3章のタイトルは「鳥には鳥かごが見えない」です。

おっしゃる通りとしか言いようがありません。

私自身ずっと鳥かごの中にいながら鳥かごが見えておらず、自分から入ってしまった鳥かごなのだから不平は言ってはいけないし、わきまえなくてはと思い続けてきました。

「差別を受けていることを認識しながらも、みずからが足りず、劣等なせいだと思うため、差別に抵抗することもない」

私もこんな風に、鳥かごが見えていない状態で「私が足りない」「私が悪い」と思い込んでいたので、結果、鳥かごの存在に気づくのに20年近い時間がかかってしまった。

私の苦しみが構造的なものだとわかった今は、私は私で夫は夫。ただ結婚しただけ。そう認識できるようになってやっと苦しいモヤモヤが晴れたけれど課題は山積みです。

 

ジェンダーギャップ120位の日本の悪循環

これって日本のジェンダーギャップがだだ低いのとも関係あって、悪循環なんですよね。

ジェンダーギャップの低い状態が当たり前なので、おかしいと気づきづらい。 ➡  気づいても大きな声をあげないと聞いてもらえない。 ➡  差別されいる側の女性もそれが「当たり前」でわきまえるのが当然だと思っている人が大半だから声がかき消されてしまう。 ➡ 自分で選べなかったことであっても置かれた場所で咲きましょうとか言われがち。 ➡ 声を上げた自分が悪いことをしているような気持ちになる。 ➡ 意志決定の場の多数を占める男性は、自分にはまったくない概念だから何を言ってるかさっぱりわからないので黙ってる。➡ 自分たちが変える必要性を感じないから変えない。(むしろこのままがいい)➡ 女性がいくらおかしいと思って声を挙げてもなかなか社会や身近なところで変化がなく疲れて諦める。➡ やっぱ変わんない 。➡ 次世代にもそれが刷り込まれる。➡ 振り出しに戻る。

これ、「男女」じゃなくてもあてはまることが世の中にはたくさん。

※日本のジェンダーギャップは世界156カ国の120位(前年121位)(2021年3月31日発表)

 

透明な自動ドアっていうのもある

そして先ほどの「大きな声をあげないといけない」というのはイベントで出口真紀子さんがおっしゃっていた透明な自動ドア(マジョリティ特権のある人は何もしなくても透明の自動ドアが開いてどんどん前に進めるというもの)の例えがあまりにもしっくり来ます。

何かをするのにあれこれ頑張らなくていい。説明しなくても認めてもらえず。何も気にしなくていい。それが透明な自動ドアを通れる者のマジョリティ特権。

 

私の立ち位置は1つじゃない

とはいえ、第1章のタイトル「立ち位置が変われば風景も変わる」第2章では「私たちが立つ場所はひとつではない」とあるように、男女というカテゴリーで言えば私はマイノリティだけど、他の場面ではマジョリティなわけで、そうなると今度は私が透明な自動ドアのおかげでどんどん先に進めているから重いドアを開けないと先に進めない人に気づかない「悪意のないマジョリティ」になり得ることになります。

「構造的差別は、差別を差別ではないように見せる効果がある」、差別によって「デメリットをこうむる人さえも、秩序に従って行動することで、みずから不平等な構造の一部になっていくのである。(本文より抜粋)

だったものが立場を変えて

「差別を差別ではないように見せる構造」の中で、差別によってデメリットをこうむる人を秩序に従って行動させていることに無自覚で、みずから不平等な構造の中の加害者になっていく。

という具合に。

自分はすいすい通ることのできた透明な自動ドアを通れなかった人に、根拠もなく「大丈夫だよ」などのポジティブ風な悪意のない言葉をかけたり、大きな声が聞こえてきても「当たり前」「仕方がない」とその声を書き消してしまう。わからないからと無視する。わかったような顔をして「頑張って」とか言っちゃう。「私は気にならないよ!(キラッ)」とか。

よく聞きがちだし、私も前はあちこちで言っていた自覚があるし、今だって気をつけないと言ってると思う。

自分は言われてもやもやするのに。

うるさい言葉の数々も立場が変われば私が悪意なく発しているということ。意識をアップデートしていかないと。

 

私の立ち位置と役割、とか言いながら…なんかザワつく

正直私は圧倒的にマジョリティの側にいます。日本国民という枠組みの中で自分でいることができるし、住居や仕事がある。こうして誰の目も気にせず表現することができるし投票という形でコミットできる。

だからマイノリティが現状を変えようするのを「応援する」んじゃなくて、「マジョリティが」私たちはこの不平等に反対だと声をあげて法律だったり仕組みを変えていく。それがマジョリティの私の責任だし役割なのだ。

恥ずかしながらこんな風にマジョリティの役割を言語化して落とし込めたのは最近のことで、先ほども触れたような「私がいる鳥かご」を壊したいと思い動きだしてからのこと。マジョリティが本気を出して声をあげてくれないと何も変わらないし、マジョリティが黙っていることが残酷なことだと身をもってわかったからなのです。

そして、こうして書き出してみると様々な立場の私の解像度が上がって、気づきたくない何かがザワザワし始めます。「気づきたくない」が発動するということは悪意のない差別があるってことではなかろうか。たぶん絶対。

そう考えると私にとってこの本は、私の中にある「悪意のない差別」を浮き上がらせ、ザワザワを一つずつ言葉にして、受け入れる覚悟を促してくれるもの。

そうすることで自分のセンサーや社会を見る目を鍛えるためのヒントが散りばめられている教科書なのだと感じました。

「私たちは慣れ親しんだ社会秩序にただ無意識的に従い、差別に加担することになるだろう。何ごともそうであるように、平等もまた、ある日突然に実現されるわけではない」

とにかく特権に溺れたくそダサいマジョリティにはなりたくないです。

そろそろ終わらようともう一度パラパラと本をめくったら、書きたいことのほんの一部しか書けてない。全然書けてない。プロローグ程度しか書けてない。

ジョークのこと、トイレのこと、公共空間、レッテル、「多様性」という言葉、法整備のことなどなどまだまだたくさん。

線を引いたり付箋をつけた箇所の画像を全文貼りたいけどそれは違法になってしまうのでやめときます。もしも気になってもらえたらぜひ手に取ってください。(誰の回し者でもありません。念のため)

www.otsukishoten.co.jp

 

イベントの濃厚な文字おこしがTwitterにあったのでリンク貼っておきます。

 

 



初めてK-POPを好きになった私が読んだ「『日韓』のモヤモヤと大学生のわたし」

 

それはある朝突然に…


5月のある日、何気なくつけていたテレビから流れてきた「Butter」のMVをみて一瞬でBTSにはまった。言葉がわからないから映像を見るときは手を止めてみるし、色々なエピソードも自分から取りにいかないと入ってこない。そんな毎日が楽しくてしょうがないし、身体の調子も明らかに良くなったみたい。今までと生活パターンが変わって、それまでどんな生活をしていたのか思い出せない。

www.youtube.com

 

 

それまでもテレビの音楽祭などは娘たちと一緒にもれなくチェックしていて、昨年夏にBTSがFNS歌謡祭に出たときには「ダンスの完成度の高さやお化粧ばっちりでかっこよくて隙がない。歌が上手とかいうのが失礼なくらいレベルが高い。好きとか嫌い関係なくかっこいい。非の打ちどころがないくらいにかっこいいけれど、完成度が高すぎて存在が遠い。」とかなんとか話していた。

 

この時点でだいぶ何度もかっこいいって言ってる。

 

「STAY GOLD」はふつうに良い曲だなーと思って口ずさんでいたし、何より音楽番組で座って歌っている姿に驚いたことを覚えている。踊りがすごいと思っていたBTSが踊らなくてもこのクオリティってほんとすごいと思って、今映像を見返すとリアルタイムで観ていたとき記憶が蘇る。

 

「DYNAMITE」もあのコロナ禍で窮屈になっていた気持ちが無条件に楽しくなる感じがあって、これまたサビだけ口ずさんだりと、今思うとじわじわときていたのかもしれない。


 
周りを見回すとK-POPや韓国ドラマにはまった友人たちのはまり方がそれはそれはにディープに見えて、一歩踏み込んだら私もどっぷり浸かることは目に見えていたので何を勧められても見ないようにしていた。見ないようにしてる時点ですっごく意識が向いちゃってるけど!

 

そしてその瞬間は突然にやってきた。

 

その日から3日間、二人の娘を巻き込んでメンバーの名前を覚えるところから始めた。色んなMVを見まくって髪型や髪の色が変わっても遠目でも誰だかわかるようになった。

 

それからMVにインタビュー動画、ライブ映像にプラクティス動画やおもしろ動画。とにかく何でも見まくった。うっかり見始めてしまったドキュメンタリーの「Burn The Stage」は二話以降You Tube Premium会員しか見られないと気づき、即座に無料お試し登録した。

 

そうやってBTSを知りたくて色んな動画を見ているうちに流れてきたのが、メンバーが好きな日本のアーティストについて紹介しているものだった。そこでラップラインのメンバーが何人かのラッパーを挙げていて、私も詳しくはないけれど彼らのインタビューを読んだりとかはしていたので、結構ハードなのを聴くんだなと思ったのだった。

 

「すごくかっこいい」だけじゃないかも


この時あたりから、BTSが日本で言う「アイドル」としての完成度がとんでもなく高くて面白いうえにとてつもなくかっこいいグループというだけの認識(つまりこの時点でパーフェクト!)から、それだけじゃないって思うようになり、さらに色々見ているうちにSUGAのソロプロジェクト、Agust Dに辿り着く。

 

いやもう '대취타' のMVのかっこよさ。

www.youtube.com

 

 

好き。

 

大好き。

 

これがあの「生まれ変わったら石になりたい」人なのかと驚いた。他の曲も聴いて日本語訳を見て、あのBTSの活動と、このAgust Dの音楽が同時進行で発表されていることに衝撃を受け、次にBTSの楽曲の歌詞の日本語訳をあれこれ見始めると、それまでの認識をすっかり改めることになった。

 

さらにはSUGAがマリーモンドのアクセサリーを付けていたことや、高校生の頃に広州民主化運動をテーマに曲を作ったことがあるとか、BTSの「MAMA」という曲の歌詞の中では事件のことが描かれているとか。

 

BTSのメンバーが読んだ本の中にも事件をテーマにした「少年が来る」があったので、すぐに「少年が来る」を読み、Netflixでマイリストに入り続けていた「タクシー運転手」を観た。

 

ちなみに私が去年読んでとても大切にしてる本「82年生まれ、キム・ジヨン」も入っていてとても嬉しかった。先輩ARMYの友人からは「Spring Day」がセウォル号事件のことを描いたものだと教えてもらい、彼らや彼らの作り出すものへの信頼がどんどん増していった。

 

もちろんそういうメッセージ抜きでもエンターテイメントは成り立つのかもしいれないけれど、感情が動かされたり考えたりするものだから、作品に込められたメッセージや作品を作る側の人間性は私にとっては欠かせない。

 

何年か前のTシャツ問題のことは当時も知っていたけれど深追いはしなかったし、日本の加害の歴史とセットで取り上げてるメディアが少なくともその時の私の目には入らなかったのが何だかなぁと思いつつ、騒ぎになっちゃてるなぁくらいに見ていた。

 

ハングルの勉強を始めたら噴き出してきたもの


今回BTSを好きになったこの機会にハングルの勉強をしてみようと思い、勢いに乗って「Learninng Korea With TINY TAN」という教材を購入した私は、基本の文字の読み方を覚えるのに丁度いいからとメンバーの名前をハングルで書き出して読む練習をしてみた。

 

今思うと私の小さな頃は日常が差別用語であふれていて、私も差別用語を何も知らずに使っていた。メンバーの名前を読み上げたとき、そんな記憶が噴きだして言葉にできない気持ちが押し寄せた。

 

私にとってBTSは無条件に大好きで楽しくてたくさんの幸せをくれる存在だけれども、私の中でくすぶり続けていることとは切っても切り離せないことだとはっきりと自覚した瞬間だった。

 

私は40代。小学生のときから電車を使って通学していた私はチマチョゴリを着た女の子たちを見かけるたびに、なんて可愛いんだろうと憧れの眼差しで彼女たちをみていた。

 

けれど、何年も経ったある日、チマチョゴリを着た女の子のそれが切り裂かれるという事件があり、電車の中でチマチョゴリを見かけることはなくなった。その時は歴史もなにも知らなかったけれど、ことの理不尽さに何とも言えない怒りを覚えた。

 

一方で当時の私は、テレビを通じての印象から、「北朝鮮はなんて怖い国なんだろう」「どうして韓国の人っていつも怒っているんだろう」「いつまでも日本を糾弾してばかりだな。」というような印象を持っていた。普通にお茶の間に流れているニュースからはそんな映像やメッセージばかり流れていたから。

 

その後サブカル好きになっていった私は、そちらからの発信で徐々に戦争や差別、日本の加害の歴史を知っていくようになる。

 

学校で勉強する時期には全然勉強していなかった私は、大人になってから歴史を学んで日本の侵略の歴史や慰安婦問題などを知った。学校の教科書でみかけていた単語が血の通ったものになり始めた。

 

「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし


BTSにはまってから、ファンの間では「日韓」関係のことってどんな感じなんだろうと気になっていたところに「『日韓』のモヤモヤと大学生のわたし」(編:一橋大学社会学部加藤圭木ゼミナール、監修:加藤圭木、大月書店)という本に出会い、早速読んでみた。

www.otsukishoten.co.jp

 

 

本には「日韓」の歴史についてとても丁寧に書かれているし、学生たちが体験したことや考えたことから感じたモヤモヤやについて飾らない言葉で思ったままに書かれていた。

 

「日韓」について知るための入門書としてもこれまでにないタイプのものだけど、それ以上のものだと思う。

 

これまでにも積極的に知ろうとして学んできたし、「少しは知っている」と思っていたけれど、そんなものがまったく浅い考えだったことに強烈に気づかされた。

 

一冊を通して「日本の植民地支配による人権侵害」という視点から全くブレることなく逃げることなく書かれていて、南北の分断、対立、韓国で長く続いた軍事独裁政権、兵役、性差別もすべてのもとは「日本の植民地支配から始まっている」と書かれている。

 

その視点がすっぽりと抜けていた。自分がいかに他人事だったかということだ。ほんと、バカだ。

 

恥ずかしいから隠しておきたいけれども、たぶんこんな自分に気づけたことが私にとってこの本を読んだ最大の意味なので書いておきたい。これからの私のためにも。

 

日本国内でいえば朝鮮学校への差別、在日朝鮮人への差別、韓国や北朝鮮に対する偏見、差別。ヘイトスピーチの数々。私が気づかないで見過ごして加担している日常にあふれる差別もたくさんあるだろう。

 

植民地支配そのものは過去のことだけれど「日本の植民地支配による人権侵害」はずっと続いていて何一つ終わっていないのだ。

 

正直自分が恥ずかしくなるし、今回この本を読んで認識の甘さに悲しくなったりもしたのだけど、私がそんなことを言っている場合ではない。

 

「特権」と「連累」


本の中にはこんなことが書いてある。

「歴史や政治の話をするのはよくない」とか「中立でいるのが一番いい」と言っていられるということは、「逆に言えば歴史や政治を意識しなくても生きていける環境にあるし、よい人生を送れるという選択肢、つまり特権があるということ。」


立ち止まってそのまま立ち止まり続けることができえしまうのだって「特権」なのだ。


じゃあどうしたら、という疑問には本の中に紹介されているこんな言葉が応えてくれた。

 

「連累(れんるい)」

 

初めて聞いた言葉だけれど、オーストラリアの歴史学者テッサ・モーリス=スズキさんが提唱する概念で、

「現代人は過去の過ちを直接犯してはいないから直接的な責任はないけれど、その過

ちが生んだ社会に生き、歴史の風化のプロセスには直接関わっている。」

 

そして

 

「過去の不正義を生んだ『差別と排除の構造』が残っている限り、現代人には歴史を風化させずに、その『差別と排除の構造』を壊していく責任がある」


というもの。

 

数年前のこと、大好きな沖縄への何度目かの旅行のときに、沖縄に基地が集中しているのはおかしいとは思いながらもそれが当たり前のことだと思っていた自分に気づいた。

 

そんな私はやろうと思えばたった今から歴史のことも政治のことも考えず、話さずに生きていける「特権」を持っている。というか2011年まではほぼほぼそうしてこられた。それが「特権」だと気づかずに。

 

だからこそ、私は自分が特権を持っているということに向き合いながら「差別と排除の構造」を壊していく責任がある。

 

本当に大切な一冊に出会えた。

 

お坊さんと結婚してから抱えてきたモヤモヤの正体はジェンダー由来だった

私が、住職の夫と結婚してお寺にきて20年近く。
お寺にはいるけれど、私はお寺の奧さんという役割を背負うことをやめて「私」で生きていこうと思うまでの紆余曲折を書き残しておきます。

初めて「ジェンダー」(文化的、社会的に作られた性差)について当事者として考えた

結婚してから20年近く経つ。今まで得体のしれない違和感を抱えてきたけれど、それが「ジェンダー」と結び付いたら色んなことがクリアになってきた。最近はzoomで勉強会に参加できる機会も増えたのでジェンダーフェミニズムと名前のつくものにあちこち参加してみたり、本ではまず「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んでみたり。

ずっと頭の中でグルグルしてること。

そもそも私は女性であることに不利益を感じずにきた。学校は女子校で、校長先生や理事長先生が女性なのは当たり前だったし、家でも学校でも女の子だからどうとは言われたことがなかったし、その後働くようになってからも人にも環境にも恵まれてずっとゆるゆるとやってきた。

キム・ジヨンのような目に合わずに役割を押し付けられることもなく、何かをあきらめることもなく、自由にやってきた。

それが結婚してから一変、ずっと苦しくて生きづらくて劣等感でいっぱいに。自己肯定感はだだ下がり。結婚してから感じていた違和感はお寺という構造に組み込まれた「ジェンダー」に由来するんじゃないかと20年近く経って今年やっと気づいた。

キム・ジヨン」の苦しさは、私が結婚してお寺に来てから感じ始めたものだった。

「お寺の構造に組み込まれたジェンダー」と一言で言っても、お寺の規模や宗派、地域、世帯(そこに家風みたいなのも入ってくる)ごとに「妻」の役割や働き方、お寺との距離を選べるか選べないかなど一つとして同じ例はないし、勤務状態、給与などプライベートすぎることでもあるので話しづらかったり。

同じような境遇にいても共有しづらいことだけど間違いなく「構造」に女性が組み込まれていて、それが実はたくさんの問題をはらんでいると気づいてきた。現代仏教の問題も多いにあるし、個人的な問題でもある。だから声を出しづらい。

でもあえて、とても個人的で、個人的じゃないことを書きだしておきたくなった。

お坊さんと結婚して

結婚してからの私はすごく無力になって自由でなくなって、主体的でなくなった。結婚してすぐに子どもができて、今思うと家があって夫がいて子どもを育てなくてはいけなくて。それだけがお寺にいる意味だったように思う。

おまけに私は仏教にもお寺にもどう頑張っても自分から何かしたいみたいな思い入れが今でもあるわけではなく、お寺にいることに劣等感でいっぱいで、しょちゅう体調を崩したり、心療内科にかかったこともあったし、カウンセリングもたくさん受けた。(カウンセリングを受けに行くと、お寺の奥さんがけっこう来るんですよと聞いたことがあった。)

家事だってそんなに得意でない。けど、そこから逃れられなくて苦しかった。しんどかった。辛くてしかたなかった。苦しいのもしんどいのも私だけのせいだと思ってた。場違いなところに来てしまったと毎日泣いてばかりいた。

子どもが小さいうちは夫はまだ副住職だったし、私はほぼ子育てに専念していたけれど、それだって掃除やお客さんへの応対、電話応対、法事や法要の準備などを「手伝う」。ずっと家にいるけど、ずっと家ではないところにいる。

物理的にも精神的にも「家庭」とつながっているので、「家のお手伝い」みたいな扱いになるし自分でもそう思っているところがあった。でも何だか違うという思いが常にあった。専業主婦でもない、お寺の仕事と言うほどでもない(今考えると全然仕事なんだけど)。それでいて専業主婦で、お寺の仕事をしていて、でも「家のお手伝い」と片付いてしまうモヤモヤ。

ママ友と話していて「仕事が忙しくってさー」なんて話すと、私の家のことを知ってる友達も「え?仕事してるの?」みたいに言われることも多かった。そのたびにモヤモヤしてた。

加えて「お寺」とか「お坊さん」という存在と言葉の破壊力。

最近は私も受け取り拒否ができるようになったり、流したりあきらめて折り合いをつけるという技を取得したけれど、住んでいるのがお寺だとか、夫がお坊さんと知った瞬間に相手との間にできる距離、または何だろう…私じゃない何かを見て話される感じ。

私はお寺さんでもお坊さんでもない。今ここにいるのは「私」でしかないのに。悲しい、淋しい思い。心がスース―していた。

私はあなたの思っているような「お寺の人」じゃないよって言っても「結婚したのに?」「お寺なのに?」「わかってたんじゃないの?」って言われると何も言えなくなる。

こんな人間がお寺にいてごめんなさいって思ってた。

■私の人生は誰のものでもないはず

苦しいながらもお寺のために何か役にたてたら居心地が良くなるかもしれないと考え、子育てがひと段落して落ち着いたタイミングで、グリーフケアの講座を受講した。

その時に「あなたのグリーフ(喪失)は何ですか」と聞かれてまっ先に湧き上がってきたのは「お寺に来てから私がいなくなってしまった。私がどこにもいなくなってしまった。」という思いだった。それに気づいたとき心にぽっかり大きな穴が開いたみたいだった。

外で違う仕事ができるものならしたかった。私の役割は他の人がやったらいいと思った。だって私にはここは向いていないし、お寺にいるのがつらくて、住職の妻なのもつらかった。

お寺で暮らしていればお寺や仏教への興味も出てくるかなぁなんて期待したり、勉強みたいなこともしてみたけれど、そればかりは努力ではどうにもならなかった。けっこう頑張ったけど。

住職の妻が外で働きたくても働けないのは小規模家族経営のお寺にはあることのようだ(他の人の事情はわからないけど)。

住職の仕事をサポートするのが妻の役割(=仕事)で、お寺という仕事がら急な仕事が入ることもあるし、予定が変更になるなんてしょっちゅう。様子を見ながら自分の予定をいれる。

「留守番」だって仕事だ。

結婚式のとき、あるご住職のあいさつで「お坊さんと結婚するということは、家族になることではなくお寺としての家族の一員になること。お寺の後継者を育てること。」みたく言われてモヤモヤした。

それまで感じたことのない違和感だった。

その後の子育てでも、自分がお寺にいることで不自由を感じていたから子どもたちにはあまりお寺を意識しないで育ってほしいと思っていた。無理に遠ざけた訳ではないけれど、押し付けもしないように。

娘が2人いるけれども、お婿さんをもらってお寺を継いでほしいとも思っていない。(そもそも女の子はお坊さんとして育てないというのが矛盾してる。)子どもの好きなようにしたらいい。

私は仏教のために、お寺の存続のために、私がいつまでもここに住み続けるために子どもを産んだわけじゃないから。

お寺は私有物ではないので、誰か他にお坊さんがここを継ぐならその時私たちはここを出ていくだろう。ずっと住んだ場所だから全く未練がないわけではないけれど。

ちなみに他の宗派はどうだかわからないけれど、私がいるお寺の宗派は世襲制ではない。夫婦やお坊さんがお寺を継ぐために養子に入ることもよくある。みんな世襲から自由になれたらいいのに。

お寺の運営の勉強をしてみて気づいた“お寺と女性”

夫が住職になって私とお寺の距離感や関わり方も少し変わってきたときに、色々な仕組みやルールがわからないまま宙ぶらりんで仕事をするよりも主体的にお寺の運営に関わったら自分の気持ちが少し楽になるかもしれないと思い、お寺の運営講座を1年間受講した。

事前課題、事後課題とあって、企画や課題を考えたりするたびに、私の場合はまず自分とお寺との距離感を考えるところから始めないといけなかった。主語をはっきりさせないといけなかった。そのことでお寺に関することは私から湧き出てくるものではないと気づきだした。

そこで学んだことはとても役に立っているけれど、同時に、学べば学ぶほどに、お寺のことはお坊さんだけでやったらいいのに、なぜ、「嫁」が必要なんだろう。と考えるようになった。

お坊さんやお寺に個人的にどうこういう思う気持ちはこれっぽちもないけれど、お寺って、仏教って都合のいいように女性を使ってるなあっていう思いが湧き上がってきた。

従業員さんを雇えないお寺には「嫁」がいると便利なのである。お寺に女性がいて玄関で笑顔で迎えると柔らかい雰囲気で安心されるみたいな考え方がお寺にも一般的にも(少し前の私にも)まかり通っているけれど、それだってお坊さんがやることでしょって思う。私もそうしてるけど。人としてそうしているだけ。女性だからではない。

先日初めてドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」を見てこれか!と思った。

「好きの搾取」だ。刷り込まれてきた伝統の呪い。

お嫁さんに来てもらうとか、お寺の中で専業主婦的であることと、女性らしさ、柔らかさを求められなんてたまらない。

女性が結婚後でも選択肢を持って望んでいるならいいと思う、でも女性にそれを期待して結婚するならそれは違う。ちゃんと求人を出したらいいし、これからは結婚して女性にお寺に入ってもらおうとか考えないほうがいい。

少子化も進んでいるし、結婚がすべてみたいな価値観もどうかしているし、お坊さんは尊い仕事だから女性が家族になって協力するのは当たり前とでもいうのだろうか。

これだから日本のジェンダーギャップ指数は世界153か国中121位という記録を打ち出しているのだ。私も気づくのに時間がかかったけれど。というか121位だから気づきにくいのか。

女性がお寺に「入る」ということ

女性が結婚してお寺に入る(とはあまり言いたくないけど事実)ということは、キャリアを捨てるということ(あくまでも私の感覚。色んな人、その立場がぴったりきてる人もいると思う)。

夫に何かあったとき仕事はどうしようと思ってよく日曜の求人広告を見たりもしていた。というのもお寺というのは私有物ではない。お寺は自分の家ではない。夫になにかあったら住職の妻は仕事も家も失う。そのとき結婚することは「お寺としての家族の一員」になると言った宗門の皆さんは、宗門として私の生活や家を支えてくれるんだろうか。そうなった時は家族や個人の責任ということになる。

自助、共助、公助。どこかで聞いたスローガン。

そうやって、夫に何かあったら仕事も家も失うような存在でありながら、宗派内には妻たちの会があって、強制ではないけれど、住職副住職の妻たちが志も方向性もお寺や仏教との距離感も違うのに組織を所属して(させられて)一緒に講習会を企画したり親睦会的なものをする。拘束時間がそれなりにあるのに無給。まるで昔の社宅のようで、夫の地位やらお寺の規模で色々が決まっているように私には思えて、首をかしげることも多かったし、夫あっての妻たちの場なので自由に発言も意見交換もできない。

だいたい妻であることが仕事ってなんだ。

そんな風に女性も宗派に組み込まれているようでいて何かあったらさっぱりとさよなら。宗派でそうやって女性の役割を作って、共にに歩んでまいりましょうとかいう割には寺族には寺族の勉強会の機会しかなく、住職たちが受けられるような濃い内容の講座からはお呼びがかからない。

「女性活躍」の場を男性が「作ってあげてる」感。考えすぎかもしれないけど。あ、これも個人的にどうこうは言うつもりはなくて私が感じてる仕組みの話。そのような場が合っている方にとっては大切な会なのだと思うけど、皆に同じように合うかどうかは別で、私にとっては苦痛でしかなかった。

夫婦別姓論議も似たようなものがある。夫婦別姓がけしからんと思う人は同性にしたらいいし、別姓がいい人は別姓にしたらいい。

役割の押し付けはごめんだ。

数年前にすごーく大きな違和感を感じたことがあった。宗派内のある場面で戒名をもらったのだが、その戒名が夫の名前と私の名前を組み合わせたものだった。それを見て私は何だこれ!!って思った。

夫あっての私!?

いやいや、夫婦間でそうしたいね!と言うならいいけれど、宗派からつけられた戒名がそれっていうことは、あなたは住職あっての人間で、夫あっての人間なんだと言われたみたいですごーくイヤな気分になった。これは夫を好きとか尊敬しているとは別のはなし。夫とは対等な立場で結婚したんだし。でもその戒名のつけかたは宗派の体質そのもなんだと思った。意識してか無意識なのか、女性は僧侶を補佐する存在にすぎないと言っている。

先輩フェミニストとの出会い。権利との出会い。カウンセリングとの出会い。

去年初めてずっと女性と仏教について様々な立場の方が執筆している冊子を手にして、ここまで書いてきたような私が感じていた違和感の全てがそこに書かれているのを読んで、こう考えているのは1人じゃなかったと安心したり、思いのほか自分が構造に組み込まれて、自分にも刷り込まれたものがたくさんあると気づいて悲しくなったりしながら何度も何度もそれを読んだ。


多くの小規模寺院で必要とされているのは、僧侶が弟子ほど気を使わずにお寺のことや身の回りの「お世話」をしてくれる「専業主婦」だというようなことが書いてあった。

宗派の主催でマッチングパーティーがあるけれど、「僧侶と結婚したい人」「お婿さんにきてくれる人」枠はあるけれど、「尼僧さんと結婚したい人」のパーティーはないと。尼僧さんは女性だから家事もできるからというようなことも書いてあった。

お坊さんが結婚して相手にお寺で働いてもらうという制度自体ができたのが、明治時代らへんのこと。「僧侶という立場も結婚も」「仕事も家庭も手に入れたい」という男性(僧侶)の目線がこの状況を生み出している。夫が言うには、その前から僧侶が結婚したいけど、役割がないとお寺に住めないから、一緒に住むためにお寺での役割を作ったという説もあるそうな。

だからって今のお坊さんを責めたりしているわけではないけれど、でも昔むかし、そういう仕組みが作られたのは事実。「家族」ということばの罠。女性という存在の軽視。

日本国憲法13条には「すべて国民は個人として尊重される」、24条には両性(今はもっと広義だが)の平等について書かれているが、仏教界はどうだろう。

仏教界もお坊さんも結婚して「嫁」に来て「女性らしさ」をもってお寺の手伝いをしてもらうとか、そういう発想はもう捨てないと。仏教界は差別を考えるとか男女平等とか言っているいけれど、足元を見ないと嘘になる。

とはいえ20年近くモヤモヤしているだけでその仕組みに気づかなかったくらいだから、私の中にもその種はたくさんあると自覚して意識していかなくては。

何年か前に日本国憲法に出会って、13条「すべて国民は個人として尊重される」という条文を知って、私はお寺の奥さんである前に「個人」として生きていいんだと思えた。考えるのは自由(19条)とも書いてあると知って、結婚して抑えていたものが緩み始めた。

さらに私はこれだ!と思えるカウンセリングに出会って、初めてアドバイスもジャッジもされることなく話を聞いてもらって、結婚して初めて素の私の声が出せた。

お寺のことや家族のことはやっぱり人には言いづらい。

だから安心安全に聴いてもらえる場所が私には必要だった。そしてどんどん自分に正直に、自由になれてきた。その後カウンセラーになるための講座を受講して、慣習や「当たり前」に囚われない自分の本当の気持ちに出会えて自由になれた。

鉛の鎧を脱ぎ捨てる

私はつい最近まで自分の仕事を「お寺の奥さん」と言っていたのだけれど、それも言いながらずっと違和感があって小さく傷ついて、言う度に何かが心にひっかかっていた。

実のところモヤモヤしつつもそれが現状を言い表しているとも思っている。

今は自分の考えてることややりたいこととのお寺との共通項を見つけてその中で主体的に仕事をするようにしている。

ただあくまでも、お寺の維持は僧侶の仕事であって、たまたま妻になった人間の役割ではないという立場だ。

自由になろう。

自由でいよう。

お坊さんと結婚したからって、無理に仏教やお寺に私を寄せなくたっていいのだ。

ここで私の最善を尽くそう。

ガラスの天井は壊そう。

仕組みの問題を個人の問題にすり替える鉛の鎧は捨てよう。

だけれども、これを私がこんな風に思えるようになったっていうきれいごとのにはしたくない。何かしら次につながるようなことをしていたい。

風も通らないような小っちゃい穴を開けるような作業かもしれないけれど。

何言ってるんだって思われるかもしれないし、まとまりもないし、辻褄もあってないかもしれないけれど、20年近くずっと違和感を感じてきてたどりついた考えだ。

これは私の感じたこと、私の体験したこと、私のケースにしかすぎないので、他の方に当てはまるかどうかはわからない。

でもこれは個人的なようでいて、今の仏教界がはらんでいる問題なのだ。