きのこの部屋

読後メモやお寺の中のジェンダーなどなどについて書いてます。

「虎に翼」大好きメモ

朝ドラ「虎に翼」を見始めた。

朝ドラは常に必ず観てるわけではなく、見る時期と見ない時期がある。

今回は日本初の女性裁判所長、三淵嘉子さんがモデルで、主演俳優が伊藤沙莉さんだというので、前の週から録画予約をして楽しみにしていた。

(三淵嘉子さんのことは今回初めて知ったので、これから知っていきたいと思っている。)

楽しみにしていた初日、なんと物語の始めに日本国憲法第14条が読み上げられた。

「第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

本来なら驚くようなことではないのだが、テレビなどで紹介される日本国憲法はほとんどが政治の駒のような扱いで、「国民の権利」という一番大切な部分については触れられることがなかったように思う。

有名な日本国憲法第9条だって、ただ、戦争を放棄したいと言っているのではない、国民が平和に生きる権利を守るためにあるのだし、前文では「われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。」とも言っている。

日本国憲法では「国民」という言葉が使われているが、私はこの部分は「国民」ではなく「人々」にしたらいいのにと思っている。もはや、いや、昔から、日本に住んでいるのは日本にルーツを持つ人だけではないのだから。もちろん全ての人に基本的人権はあるのだけれど、明文化しておくのは大事なことだから。~

こんな風に、朝ドラで「権利」の視点から日本国憲法が紹介されたのが嬉しかった。

そして物語が動きだすと、主人公の寅子が「なんで女というだけで???」という疑問を見習いたいような瞬発力で口にしていく姿に、ありがとうという気持ちになった。

お見合いをしていた相手に自分の意見を言ってみたらおもしろがってもらえたからそのまま話し続けていたら、「女のくせに生意気だ」「俺に講釈たれるのか」と高圧的に言われた。寅子はひるまない。おかしなことが起きたぞっていう表情で首をかしげる

寅子の兄と寅子の親友の結婚を祝う両家のちょっとした食事会、夫たちが、この結婚は俺たちが手をつくしてまとめたんだぜとナチュラルに偉そうに振る舞う横で、妻たちはスンとしている。

それを見ていた寅子は、この結婚をまとめるために尽くしたのはお母さんたちなのに、お父さんたちの手柄みたいなこと言ってるし、お母さんたちは何も言わずに一歩下がっちゃって、スンとしてる。私、あのスンが嫌いなんだよね。と言う。

ちなみに私はあの「スン」がとても怖くて、人生の10大怖いことにランクインするかもしれないくらいなのだが、スンが怖いおかげで自分を保ってこられたとも思っているので気にいっているところでもある。

ドラマを見ながら、けっ!って思うのと同時に寅子が「はて?」(それ、おかしくない?)って言ってくれるのが心地よいし、伊藤沙莉さんのどこかコミカルな演技も心地よい。

第1週の金曜日はティッシュ片手に見た。涙が止まらなかった。

今は専業主婦をしている、かつて勉強したかったのに女学校に行かせてもらえず、実家の旅館にとってうまみとなるためのお見合いをさせられていたという、母さんの悔しかった思い、頭のいい女が確実に幸せになるためには、頭の悪い女のふりをするしかない。そして女が幸せになるには結婚するのが一番だと言う母。寅子自身は結婚に幸せを見出さないでいるが、それでも一旦「ありがとう、私のこと、心から愛してくれて。」と受け止める寅子。

このドラマの良いところは、ここに「ありがとう」と入れるところだと思う。自分の幸せは結婚することだと掲げている親友の花江ちゃんもだけど、こうして価値観の違う女性たちが認めあってるところが素晴らしい。

私は今いる場所でずっと、自分がこのドラマの「母さん」のように、作られた女性の役割をしていたらすべてが丸く収まるし、「母さん」を貫けば自分でもこの選択に納得できる日が来るかもしれないと思っていた。だから母さんの悔しさに私の悔しさを重ねた。ドラマの「母さん」は、それでもたぶん、自分のできる限りで家族をみて、その時その時の納得を重ねているように見えて、「はる」であることは1つも捨てていないところに共感した。

そのはるが、寅子に向かって女が男と肩をならべようなんて時期尚早だと言う夜学の桂場に「お黙んなさい!」「そうやって女の可能性の芽を摘んできたのはどこの誰?男達でしょう。自分にその責任はないと?そうやって無責任に娘の口を塞ごうとしないでちょうだい。」とまくしたて、寅子の見合い用の着物をあつらえるはずが六法全書を買いに本屋に飛び込む後半に涙が止まらなかった。金曜に語られたはるさんの悔しさ、翻って寅子の味方にならずにいられなかった姿。思い出しても涙がこみ上げてくる。

もしかしたらこのドラマはフェミニズムのような考え方に出会わずに年を重ねてきた私の母のような人や、スンとしているけれども何だかモヤモヤするぞ、という層にも何かしら響くのではないかと思う。第1週では、寅子、はる、花江、三人の女性が、それぞれの生き方が尊重して描かれていた。10年前、20年前にこのドラマに出会っていたら、私はどんな反応をしただろうと考える。

寅子のこの先に地獄という言葉を当てはめるというごまかしの無さにもスカッとした。

それから、最初に見た時には私は目が向いていなかったのだが、背景にいる女性たちにも物語が感じられると友人が教えてくれて、見返してみると本当に、背景にいる人たちが通行人としてではなく、物語の一部として確かに存在している。一人ひとりに役割があるという点で、舞台のような描き方だと思った。

来週からがとてもとても楽しみだ。久しぶりにドラマにこんなに心を動かされている。

 

「わたしたちは女にかぶせられている呼び名を返上します」

何となく録画して観たETV特集森崎和江さんという方を初めて知ったのだが、どの言葉も逃したくないくらい素晴らしい番組だった。

日本の植民地支配下にあった朝鮮半島で、支配する側の両親のもとに生まれ、日本に帰ってきてからは植民地支配をする側の身分だった自分と、日本にも朝鮮半島にも居場所のない自分の立場に苦しみながら、炭鉱や女性史、海外売春婦などについて多くの著書を残したのだそう。調べてみたら沢山の著書があった。

釘づけになったのが、森崎さんが携わった女性交流誌『無名通信』の第1号の出だしの言葉。

 

画像はウィメンズ アクション ネットワーク(WAN)のHP内より。

ミニコミ図書館 > ミニコミ一覧無名通信 | ウィメンズアクションネットワーク Women's Action Network


「わたしたちは女にかぶせられている呼び名を返上します。無名にかえりたいのです。なぜなら。」

「わたしたちはさまざまな名で呼ばれています。母、妻、主婦、婦人、娘、処女…と。たとえば「母」は、「水」などと同じことなの質をもっているはずです。ところが、それがなにか意味ありげなものとして通用しています。まるで道徳のオバケみたいに。献身的平和像、世界を生む母などという標語をくっつけて。女の矛盾はみなここで溶けてなくなってしまうかのようです。

わたしたちの呼び名に、こんな道徳うくさい臭いをしみこませたものは、家父長制(オヤジ中心主義)です。」

これが書かれたのが1959年。

遅ればせながら、これらの言葉に出会えてよかった。なかなか読みたい本を読みたいだけ読むのが難しいけれど、森崎和江さんの著書もリスト入り。

韓国の音楽やドラマ、本に親しむ私は、森崎さんが、朝鮮半島で育ったことで感じていたジレンマや苦しみについても知っていきたい。

 

www.iwanami.co.jp

www.nikkan-gendai.com

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留守番という仕事

個人的なことが政治的すぎて、政治的なことが個人的すぎて、何をどう訴えたらよいのだろうかと途方に暮れている日々である。

友人たちからするとどこが?と思われるかもしれないけれど、私はこの2年、家に内に籠っている。出かけるのが面倒になった。出かけてはいるのだけど。

それからとても疲れている。そんな風に見えないかもしれないけれど。
この疲れは年齢に伴うものなのかもしれないし、生活に起因することなのかもしれない。

個人的なものかもしれないし、政治的なものなのかもしれない。

少し元気になってきた今思うと、去年はご飯を作るのも食べるのも面倒、片づけるのも面倒で、どうしていたんだろうと思うほど。買い物に出るのも面倒で食材がすっからかんなんていうこともよくあったし、逆に作るのが面倒で宅配で届いた食材を悪くしてしまうこともあった。とにかく。元気でなかった。そんなのよくあること!と思う人もいるかもしれないけど、元気のバロメーターは人ぞれぞれだ。もしかすると、それらを笑い飛ばせないほど疲れていた、といのが正しいかもしれない。

私のいる寺には大人が3人(私、夫、義母)いて、誰かしらが寺(=家)にいて電話番や来客対応をする。

留守番という仕事だ。

とはいえそんなに規模の大きな寺ではないので電話が鳴りっぱなし、来客がひっきりなしという訳では全然ない。全然ないけれど無いことはない。

「誰かしらが家にいる」ために、家族の予定をホワイトボードのカレンダーに書き出して、出かけたい日はそのカレンダーを確認して自分の出かける時間帯を書いておく。今日は良い天気だからちょっと歩いてこよう。というちょっとしたことでも確認が必要だ。さらには、もしかしたら書き忘れられた予定やたった今入った予定があるかもしれないので出かけても大丈夫か確認を取ってから出かけないといけない。

土日問わず比較的自由に出かけてるように見えるかもしれないけれど、そうやって確認して許可をとってから出かけている。

子どもが小さかった時は、朝起きて、今日は公園に行こうか?などと盛り上がってカレンダーを確認すると、前の晩のうちに予定が更新されていて、ごめん、出かけられないなんてこともたくさんあった。小さなことかもしれないけれど、悲しかったしつらかった。そういう1つひとつの積み重ねが、私はここでは無力なんだという小さな意識の積み重ねになっていったようにも思う。

この2年、出かけるのが面倒になってしまったのは、出かけるのに許可をとることに疲れてしまったということが原因だ。

許可なんて大袈裟かもしれないけれど、でもそうなのだ。

買い物1つ行くにも、私の頭の中は「今日は買い物に行こう。」ではなく「今日は買い物行けるかな?」なのだ。

「ちょっと散歩に行こう。」ではなく「今散歩に行けるかな?」なのだ。

出かけても大丈夫かを聞いて、大丈夫だったら出かけられるし、そうでない時もあるし、何時からは急に予定が入ったから何時までは大丈夫、とか色んなパターンがある。

もちろん、私の大事な用事は前々からちゃんと予定を入れておくから全部が全部許可が必要な訳ではもちろんない。

みんなで協力しあって予定を調整しあっている。

まぁ、きれいに言えばそうなる。

でも私はもうこの輪から抜けたい。

ぱっと思いついて誰の許可も取らずに思いついたままに出かけたい。

ただ、それだけのことがしたい。

こういうことを考えるとき、書く時に、かつて私が思い口にしていた言葉、「ここにいるから生活できてる。」という言葉が私の口を塞ごうとする。

でもフェミニズムに出会った今、それは違うと言える。

誰の許可も取らずに思いついたままに出かけたい。

ただ、それだけのことがしたい。

 

お寺の中のジェンダー(でもお寺に限らず日本中で起きていること)

 

仏教×ジェンダーに関するとあるイベントでお話しさせていただいた時のメモを少しアレンジして残しておきます。

 

抱いてきた違和感

僧侶と結婚した私が約20年お寺で暮らしてきた中で感じているお寺の中の「ジェンダー」平たく言うと「男女の不平等」、「女性差別」についてお話しします。

はじめに、お寺と一言でいっても、宗派や地域性、規模や運営方法など同じ形態のお寺を私自身見たことがありません。なので私の個人的な話になりますが、個人の問題が実は社会の構造によって引き起こされていることが多々あるいうことを付け加えておきます。

私は結婚してお寺に住むようになってから、ずっと自分の立場に違和感を感じて、居づらさや生きづらさを感じ続けてきました。

いつまでもお寺という環境に慣れないことや、どう頑張っても仏教に強い興味が持てない、そういったことが全部私に何かが足りないせいだと思っていつも苦しくて居心地の悪い思いをしてきました。

ある時、お寺で何か自分を活かせるようなことができたら良いのかもしれないと思ってグリーフケアの講座を受けました。そこで「あなたのグリーフ、喪失体験は何ですか?」と聞かれたときに、真っ先に思い浮かんだのが「お寺に来て私がいなくなってしまった」ということでした。自分を失くすという喪失体験があるということにそこで初めて気づきました。まぁでもその時はそれに気づいた私が、気持ちを切り替えていけばいいんだと思いました。

それとは違う学びの中で、私は日本国憲法に出会いました。中でも一番大事な条文13条の「すべて国民は個人として尊重される」という言葉に出会います。それを知って私はお寺の人間、寺の嫁である前に、個人であっていいんだと思うことができた。属性や社会的立場に囚われることなく「個」でいられるということは権利だと知りました。でもまだ私のお寺の中での居づらさ自体は自分のせいだと思っていました。

違和感 × ジェンダー

その後も色々と学び続けているうちに、ふと、私の持っている違和感は「ジェンダー」という言葉の中にあるかもしれないと思った。それで憲法ジェンダーなど幅広い分野で活躍される弁護士さんを講師にお迎えして、「SDGs」「憲法」「ジェンダー」をキーワードにした勉強会を主催しました。

そこで明治時代の家制度というのは「国による家庭を通じた支配」国家という大きな共同体の下に、家という小さな共同体。さらにその中に父親を中心とした家族がいるというピラミッド構造になってたと。

それを聞いて、お寺もそういう構造なんだとやっと気づけました。

教団があってお寺があってその中には住職、以下家族がいる。これまでの違和感の原因はこれだと思いました!

同じ頃に知人から「女たちの如是我聞」という冊子を頂き、そこに書かれていた「寺、家族、女性」というコラムを読みました。そこには私が感じてきた違和感が全部言葉になっていたんです。この違和感は持って当たり前のものだったし私のせいでもわがままでもなかった。むしろ典型的な例だととてもほっとしました。

でもまだ私の中で消化しきれずにいたときに、韓国のチョ・ナムジュさんが書かれた「82年生まれ、キム・ジヨン」という韓国で映画化もされて日本でも話題になった本を読んみました。

www.chikumashobo.co.jp

 

あらすじの触りをHPから紹介すると

「結婚・出産を機に仕事を辞め、育児と家事に追われるジヨン。常に誰かの母であり妻である彼女は、時に閉じ込められているような感覚に陥ることがあった。」

まさにこれが私の苦しみでした。

お寺にいる限り「常に僧侶の妻で寺の嫁」。私は結婚するまでは特に女性の役割を押し付けらずに生きてきた。とはいえ結婚を機に仕事をやめてお寺を手伝うという思考がすでに社会的にこうあるべきとされていた女性の役割をやっていたのだけど。仕事場も住まいも同じ場所で、「常に僧侶の妻で寺の嫁」なのが苦しかった。そしてこれは私の問題ではなく社会の仕組みの問題。その構造を容認している仏教界の問題ではないかと思うようになりました。

ちなみにここまでの流れと同じようなことを韓国のキム・ジヘさんが書かれた「差別はたいてい悪意のない人がする」という本の中で見つけたのですが「被差別集団に属する個人が差別を受けていることを認識しながらも、みずからが足りず、劣等なせいだと思うため、差別に抵抗することもない(p72)」まさに私はこの状態にとらわれていた。

 

www.otsukishoten.co.jp

 

ある日これまで述べたようなことをFBで投稿してみた。すると同じ立場だったり、そうでない友だちからも沢山のいいねと共感のコメントをもらいました。

この数年で自分の違和感の原因をさらに突き止めたくて学んできた。

どんな違和感があったかっていうと

まずは結婚するとき、僧侶と結婚するには仏教徒にならないといけなという曹洞宗ならではの謎ルール。権利の面からみると「個人の内心に踏み込む」行為でもあるし、「信教の自由」的にはどうなんだろう。夫婦の信仰が一致してないといけないんでしょうか。仏教界には結婚すると同時に女性に信仰を強制することが許される事情でもあるのでしょうか。

仏教界でもよくSDGsという言葉を耳にするようになりましたが、これってSDGsでいう「ジェンダー平等」といえるんでしょうか。

それから今は流石にもうないと思いますが、結婚式の時に、僧侶と結婚するということは家族ではなく寺の族と書いて「寺族」になることだと言われました。今日の自己紹介ではあえて肩書きを「寺族」としていますが、この寺族っていう言葉も、男性僧侶の自己実現のために、うまく作られた装置だと思います。寺族という言葉で何か役職でも与えたられたようになっているけれど、私の夫が僧侶というだけ。私はその妻なだけ。それ以上でも以下でもないはずなんですよね。

婚姻は当事者どうしの合意のもとのみに行われるものであって、家がするものじゃないし、ましてや何で仏弟子ファミリーに組み込まれるのという話。

「うちは妻と合意の上で幸せにやってるので問題ない」という方もいますが、そういう問題じゃなくて、差別的な仕組みが仏教界の中にあることが問題だと思います。

それから当時「寺族得度」と言って仏教徒になる儀式のようなもの?で戒名というものをもらいますが、その時に曹洞宗からよこされた戒名が夫の名前と私の名前を一文字ずつ組み合わせたものでした。それを見て私はかちんときたんです。夫が嫌いとかそういうことじゃなく。当人同士が望んだことならいいけど。勝手に押し付けられたのが嫌だった。女は僧侶の補佐だ。夫の付属品だと言われた気分。これって女性蔑視以外の何物でもないし、僧侶はあなたたちよりも尊くて偉い存在だということを表現しちゃってると感じています。

そして同じ立場の友人とよく話題にしていたのが家事をしてるのか仕事をしてるのかわからなくなる問題。仕事のすべてが家事の延長。境界が引きづらい。

 お寺って自分たちの家だと思われがちだけど、土地もお寺も自分たちのものではありません。実は24時間365日対応可能な住み込みの家事、来客電話対応要員というのがしっくりくる。最近の私がずっと気を張り詰めている訳ではないけれど、そういう「家」と仕事がごちゃまぜなのが地味に疲れる。お寺のことをしてるのに「専業主婦」と言われ、専業主婦をしてるのに「お寺の奥さん」とかお嫁さんと呼ばれる。宗派からはお寺以外のどこでも役に立たない「寺族」という名前を与えられ、僧侶と結婚しただけなのに「寺族名簿」と言って妻たちの名簿が作られる。集まりなんかもある。強制ではないので私は今距離を取っていますが。

その他

夫が僧侶だというだけの人間が、宗教者寄りに見られてしまうということの怖さ。まぁ恥ずかしい話ですがその特別にみられる感じが気持ちよかったことも正直あります。今考えると私はどうしちゃってたんだろうと思いますが。

お寺にいると「お寺の人」というだけで急にヘビーなことを聴かされるなんてことがよくあります。相手がそう思ってしまう仕組みや社会認識があるので仕方のないことなんですが。私はそれがすごくつらかった。私自身は今は望んでカウンセリングの勉強をして資格を持っているけれども、勉強したからこそわかったのは、心の話を聴くっていうことはとても難しいこと、訓練も心構えもなくデリケートな話しをされるというのは聴く方にとっても、話すほうにとっても危険なことです。そうすると寺族さんにそういう勉強をしてもらおうっていう発想になりがちですが、これは妻の仕事ではなく僧侶の仕事です。他の職種や業界に置き換えるとおかしさがわかるのではないかと思うのですが。

それから

女性がお客さんに対応すると場がわらかい雰囲気になる。とてもよく聞く言葉で私もそれを役割だと思っていたんですけど、観光客が来るような大きなお寺にそういう存在の女性がいますか。そんなにニーズがあるならば「場をやわらかくしてくれる女性募集」という求人を出しては?

ところでちょっと話を変えますが皆さんは肩書きってありますか?その肩書きを口にすることは自然で簡単なことですか?

私はお寺で働いていますが、しっくりくる職業や肩書きがありません。「お寺で働いてる」とセットで「結婚した夫が僧侶なのでお寺の手伝いをしている。」という説明、言い訳が必要。これは結婚したらそうなっちゃっただけで私が履歴書を出して望んで得た仕事ではないから。専業主婦でもない。パート従業員というには拘束時間に限りがないしそれ以上の何かがつきまとう。本当に専業主婦だったら私も胸を張ってそう言うけれど、家族の外出中に留守番をしている時間のすべても仕事なんですよね。

家事の分担なんかでも、どっちか手の空いてるほうが…って言ったら私が手が空いてるに決まってる。僧侶じゃないのにお寺にいるから。ちなみに私と夫はこういう話は全部共有して気づくたびにその都度改善をしています。でもどうしたって立ちはだかる壁がある。最近は壁に疲れ果ててもいます。

ちなみに私は今扶養の範囲内でお寺からお給料を得ているけど、自分で選んだ仕事をして外貨が欲しいと思う。自分の収入という実感がない。自分の受けとめ方を変えるという方法もあるけれど、その大前提として構造的な女性差別があるから私はここにいて、そこから収入を得ているという事実を前にして簡単に割り切れない。当初は無自覚に自分で選んだことだけど抜け出すことが難しい。

 

透明な自動ドア

これまで色々と学ぶ中で「透明な自動ドア」という概念に出会いました。上智大学教授の出口真紀子さんがおっしゃっているものです。自分でドアを開けることなく透明な自動ドアがスイスイ開いて前に進むことができる、生きていけるのは「特権」だというものです。

この特権というのは立場が変われば私も持っているものだということも重要なポイントです。ここでは私のことについて言いますが、それぞれの個人的で政治的で社会的なマジョリティ性はどれも「差別」について考えるために必要なことなのでしっかり見ていきたいのす。

私が小さいことのように見えて日々疲弊してしまう案件の一つに「肩書き」があります。私は肩書き一つ名乗るのにもいくつもの手動のドアを開けないといけない。

自分で選んだ仕事をしたいと思っても、重い鉄のドアのノブをさがすところから始めないといけない。

シンプルに考えて、僧侶が仏教を伝えていくためにどうして女性が必要で、得てきたキャリアをお寺のものとして使わなきゃいけないのか?お寺は家族経営でやってきてそういう伝統だから仕方ないということをよく耳にしますが、その伝統って誰が何のために作ったんでしょうか。

男性が作ったのか、女性がつくったのか。

それを維持しているのは誰でしょうか。

その意思決定の場のジェンダーバランスは男性に偏ってないでしょうか。

変えることはしないんでしょうか。

 

ちなみにこういう話題になると「俺たちもつらい」という言葉が聞かれますが、最終的に自己実現して僧侶になって、女性に支えられている構造があるということを心に留めてほしい。パートナーなんだから一緒に我慢をして当たり前と考えるのではなく、そのつらさの原因は仏教界や日本社会にあると考えて欲しい。

www.otsukishoten.co.jp

 

ちなみに私のお寺での居心地の悪さはお寺のことをよく知らないからかもしれないと思い、お寺の運営講座を受けたこともありました。

ほんの数年前の一時期はお寺の運営に力を入れて、寺族という立場からお寺のブログを書いたりしてアピールして、今思うと「わきまえた女」をやってたなぁと思うんですけれども。ちなみにこれはお寺に適応できない私が自分を振り返って思うことであって、お寺の運営に関わって才能を発揮してる素晴らしい方々もたくさん知っていますが。

でまぁそのブログの初回で「私の仕事はお寺の奥さん」で、それは「寺族」って言うんですと書いたことがありました。そのブログはずっとアクセス数高めの人気記事だったんですが、今思うとそれってこれから結婚する人や今苦しんでいる人に向けての「こうしてわきまえていきましょうね」っていう有害なメッセージにしかならないと思いそのブログはカテゴリーごと全削除しました。

 

以上のようなことも「差別はたいてい悪意のない人がする」という本によると、「構造的差別は、差別を差別ではないように見せる効果がある」、差別によって「デメリットをこうむる人さえも、秩序に従って行動することで、みずから不平等な構造の一部になっていくのである。」ということなんですね。

 

そろそろ時間なので最後に一言。

ここまで色々とお話ししましたが、とても虚しいことに、もしももしもの万が一夫に何かあったら私は仕事も家も両方いっぺんになくします。

寺族さんがいてありがたいなどと言っている曹洞宗からは何か手厚い補償でもあるんでしょうか。

これを聴いて少しでもモヤモヤっとした寺院関係の皆さまは、女性を応援するのではなく、ちなみに配慮もいりません。この構造を容認している当事者として一緒に考えて動いてください。

 

読後メモ「はじめてのジェンダー論」

私は何の疑いもなく女性として生きてきて、何だかんだと割と自由に生きてきたつもりだ。

ただ、僧侶である夫と結婚してからは何から何までしんどくてしんどくて、でもまぁ私はもともと生きづらさを感じてながら生きてきたし、慣れないことしてるんだし、こんなものかな、体力つけて自分の気持ちを良い方向に向ければ生きづらさも解消されていくだろう…と思っていた。

 

 

これってもしかして。

でも数年前のある日やっと気づいたのだ。

このとてつもない長年のぐしゃぐしゃなモヤモヤはもしやもしやこの所よく耳にするようになった「ジェンダー」問題から来てる!?

結婚してから20年近く経っていた。

色々とかいつまんで学んできたことがバチンバチンととかみ合わさった瞬間だった。

今思うと気づきの種はたくさんあったし、自分でも薄く(その時は真剣に)口にしていたけれど、自分と完全に重なるまでに随分時間がかかった。でもそうやって自分に落とし込むまでに時間がかかるのも私の良いところだと思ってる。ぐるぐる巡っていた私も愛おしいよ。大変だったね。よくここまで頑張って来たね。

 

苦しかった訳だよ。

振り返ると身体が女性というだけで、社会的に作られた女性という枠に収まらなければ、仕事の面でも家庭でもその役割をせねばと思いこんでいた。

結婚、出産してからはしょっちゅう寝込んでいたし眠れなくなったりもしたし心療内科にかかったこともあった。夫が仕事で日中は不在の中での完全同居、僧侶の妻で寺の嫁であるという仕事も込みの完全同居だ。寝る前にはほとんど毎日「私がここに慣れなれないから」と泣いていたし、夢の中で「こんなの嫌だ!」って叫んでその声で起きたりもしていた。書き出してみるとすぐに家を出る案件だ。

とにもかくにも当時は生命維持でいっぱいいっぱいだった。

心の奥では何一つ納得していなかったのに、そんな気持ちをガン無視していたから身体と心が全力で抵抗していたのだ。

何になろうとしていたんだろう。

私はずっとここにいたのに。

私が気づいてあげられなかったのだ。

今となっては何もかも合点がいく。

母らしさとか嫁らしさとか妻らしさとか。何一つ必要なかったのに、心の底では望んでなかったのに、そうしなきゃって必死だったのだ。

長いことごめんね私。

気づくのにずいぶん時間がかかってしまったけれども、ジェンダーギャップ激しめの日本では無理もなかったと思ってる。

だって生まれた時からどっぷりとそういうシナリオの中で生きているんだから。

そしてそのシナリオにどっぷり浸かって良い塩梅(または良い塩梅風)の時は、周りの色々を見ても聞いてもぴんと来てなかったなぁ。

自由でいる人の発言や行動は嫌いではなかったけど私とは違う世界の話だと思っていた。そしてそれが社会の仕組みの話とは思ってなかったし、個人の考え方の話だとばかり思っていた。

苦しかった時間が社会の仕組みのせいだったならば、私もその仕組みを変えていく1人になりたい。一番身近な私の娘たちの為にも。

 

誰かが作ったシナリオを書き換える作業。

だから私は私で今解放されつつある私を楽しみつつ、私を解放してくれた言葉たちを身体に落とし込んで自分の言葉にしつつ、その言葉をちらちらと外の空気に触れさせつつ、そしてたまには炭酸水を作るがごとく穏やかな水面にストローを刺してブクブクと大放出してみたり。

そんな風に毎日を過ごすのが私の仕事だと思うのだ。

誰かの都合に合わせて作られたシナリオを書き換える作業をしているのだ。

シナリオが変われば個人の意識も変わっていくし、個人の意識が変わればシナリオだって変わっていく。両方必要なことだから。

先人たちもずっとそういう作業を続けていてくれたのだ。

シナリオに付箋を貼ったり蛍光ペン引いといてくれたり、卜書を書いておいてくれたり、そういうものを私もチラチラと目にしていて、私に気づきを促し続けていてくれていたのだと今になってやっとわかった。

私には誰かを変えるような力はない。でも仲間は多いほうがいいに決まってるから、どうしたら仲間が増えてこの不平等を終わらせることができるかなぁと考えるのだ。

なのでこうして自分に起きてきたことを置いといてみる。

こんな考え方に出会って、こんなに誰かに遠慮してたってわかって、それって自分のこと大事にできてなかったなぁとわかって(そしてそれもその時の精一杯だったってことも抱き締めて)、そしたらとっても自由になれて、こんなに楽になれたんだって、こうしてブログに残してみたり、友人たちとおしゃべりしてみたりすることかなぁと思う。

一応言っておくと結婚してからしんどくなった私は夫に偉そうにされていたとか何かを押し付けられていたということはないんだけれど、私と夫とで無自覚にやっていた役割みたいなものがある。それはすごくある。すごくすごくある!!

今はそれらを解体している所だ。まだまだこれから解体しなきゃいけないことはたくさんあるけれどね。

そして何故わざわざ夫とのことも書いておくかというと、こういうことって無自覚に容認して無自覚に再生産してまうことがあるということを記録しておきたいのと、間違いなくまだまだ誰かが作った枠に囚われている私への自戒。

 

「はじめてのジェンダー論」が気づかせてくれたこと

フェミニズムに出会って日々目から鱗をポロポロと撒き散らしている私。最近「はじめてのジェンダー論」という本を読んでみた。

この本ではそもそもジェンダーって何だ?というところから始まって性差とは?性別とは?何をもって女なのか?何をもって男なのか?男って何?女って何?ということをとても丁寧に、かつ軽やかに紐解いてくれた。

性に関するあれこれを解体してくれた。

この本を読んでしまってはもはや男、女という概念があることに無理があるように思えてくる。

男と女って確固たる何かがあっての分け方なのかと思いきや、この本を読んだらそんなに雑に分けてたんかい!っと突っ込まずにいられない。こんだけ人間がいるんだから一人一人にフォーカスしてけば良いだけなのに…。雑なんだよ…。雑っていうか悪意だよ…。乱暴だよ。野蛮だよ。

誰かがとんでもなく小さな枠で人を分けて、人々をその範囲に閉じ込めていたんだな。

世界はもともと多様でしかなかったのに、誰かの妄想の範囲内で人間をカテゴライズしてきたのがこれまで。(だから多様性って言葉も怪しく思えてきたぞ。)

1人ひとりがその時々在りたいように生きるのは生まれながらの権利で、それを誰かに許可してもらうなんてナンセンスにもほどがある。

そのままで生きることや生まれながらの権利に対して許可するしないという発想の不条理や罪深さにもっと視点が集まるべきと思う。

こんなに野蛮なことが起きていることにもっともっと怒るべきだ。

私が生まれたように生きたいようにその時のそのままで生きることに遠慮もいらないし許可なんていらないはずなんだ。

誰も枠に閉じ込められちゃいけなかったし、誰も在り方や生き方をジャッジされちゃいけなかったのだ。これからもそんなことが許されちゃいけないのだ。

生きたいように生きられないのがおかしいんだよ。

 

www.yuhikaku.co.jp

 

読後メモ「私たちにはことばが必要だ~フェミニストは黙らない」

またまた素晴らしい本に出会ってしまった。

とてもとても暖かい本。

優しい本。

寄り添ってくれる本。

抑えていたことばを引き出してくれる本。

そのことばを発することをためらっている時にはすぐに駆けつけて背中をさすりながら手を握っていてくれる本。

言えないでいたことを言えた私にハグをしてくれる本。

疲れたら毛布をかけてくれる本。

 

ことばの力

この数年、その時その時の思いを言葉にすることで先に進むことができる、という体験を繰り返している。

私はある悩みから傾聴カウンセリングを受けるようになって、ただひたすら寄り添って私の思いを聞いてもらうという経験をした。そして今は稼働してないが、聴く側である傾聴カウンセラーにもなった。

それが少なくとも私にとっては人生がひっくり返るような体験で、ただ思っていることを飾ることなく遠慮せず口にして、ジャッジされることなくただ聴いてもらう。

最後には「私、本当はこうしたかったんだ。」「これが嫌だったんだ。」っていう気づきがあったりして、ただ話して聴いてもらうだけなのに、そのあと本当にしたかったことが実現していくのだ。

「ただ」ってさらりと書いているけれど、その「ただ聴いてもらう」ということの威力はすごい。思ったように自分のことを言えることって現実を動かすとてつもない大きな力になるのだ。

私が自由になっていく過程で傾聴カウンセリングは欠かせないものだった。

なんでこのことを書いたかというと、この本の最初に著者のイ・ミンギョンさんが日本の読者に向けてこんなメッセージを書いているから。

 

「自分の話をするためでなく、一度もさえぎらずに話を聞いてもらうという時間をみなさんに感じていただきたくて、この本を書きました。私という聞き手に向かって、これまで口にしたことのない思いをまっすぐことばにしてみる。そんな時間を過ごしていただければ幸いです。」

 

 

読み始めてすぐに出てくるこの言葉に、本当に寄り添って聴いてもらったことのある自信がある私は正直、本でそんなことが出来るのかと思った。

よく考えたら本って必要な時に寄り添ってくれる存在でもあるけれど、その時はそういう概念が私の頭の中になくて、冒頭で明言していたことに驚いたのかもしれない。

(本が寄り添ってくれるものということに気づいたのも収穫だ!)

読み進めていくと、小さな部屋で著者のミョンギョンさんと心地よい沈黙もありつつお話ししているみたいな気持ちになった。

私のことばをじっくり聴いてくれるし、答えを待ってくれるし、答えなくてもいい。私のことは私が決めていいんだとそっと教えてくれる。

口にしたことのない思いをことばにすることをじっと見ていてくれる。

本当にそんな本だった。

 

変わること

最近の私はもっぱら自分の立場について考えたり、少しでも変えていきたいと思って日々過ごしている。

私が無自覚にそうあるべきと思い担ってきた「女性」という重荷を、自分や身近なところから削り取って捨て去る作業だ。

ただ捨て去るんじゃなく、その過程も記録しておきたいと思っている。

重荷を背負っていることに最初から気づいていたわけではないので、振り返るとあれはわきまえるっていうやつだったなぁーなんて思うこともあるけれど、私にとっては今の気づきのために必要な段階だったので否定はしない。

ほんの1年前とは違うことを考えているし、数年前となると今と真逆のことを考えていたりする。

その時はそれが正解で、それでも他の人の意見を聞いたり本を読んだりして自分のペースで変わってきた。正しいかどうかもわからないけれど、私は淡々と私のことをするだけだ。

人が変わる可能性というものを自分を通してみてきたし、選ぶ方向も方法も人それぞれだ。もしも180度違う考え方でも尊重しあえたらいい。

だけどそれでは済まない場合もあるのでそんな時は声を出すし離れられるものならば離れる。離れられないときは嫌だと思う気持ちをちゃんと持つことにしている。

女性という役割を無自覚とはいえ望んで演じていた私が考えを変えていく過程も、ある人にとっては希望だと思ってもらえるかもしれないなんて思ったりしてる。

 

記録すること

記録は大事だ。

だって記録しておかなかったら「あったこと」がどうやってこの世から消えていったのか、今ここに「ない理由」がわからなければ、いつかまた目の前に大手を振って現れるかもしれないから。

(だから歴史や事実はねじ曲げてはいけない。)

私がもともとどんな風に女性の役割を受け入れてきたか、どうやって気づいてどうやって捨てているのかをちゃんと記録して残しておかないと、まだまだ男女平等とはいえない社会ではあっと言う間に元に戻ってしまうだろう。

 

私にはことばが必要だ。

私自身がまだまだ古い価値観に囚われているから、自分で書き留めたものを読んでは消した方がいいかもしれないと躊躇したり、消したり書いたりを繰り返す。言っても良いことなのか悪いことなのかと何日も考えたりする。先に進んでいる人たちからは全然違う!とか言われるんじゃないかとすごくドキドキする。

それを小さなコミュニティながらも発表するとなると「言いすぎたかもしれない」「こんなことやめた方が楽かもしれない」などという考えが頭をグルグルかけめぐる。

そんな時にこの本が駆けつけて一緒にいてくれるのだ。

正直楽しいことだけ話していたい。

でも本当に心から楽しむためには、声を挙げることも私にとって必要なことなのだ。怒ることも必要なことなのだ。

理不尽なことがあったとき、うやむやにして笑顔でやり過ごすという手もある。でもそれをしていると次の世代にも同じことをさせることになる。

自分のこどもには同じ思いをさせたくない。
こどもの友だちにも、その友だちにもその友だちにもその友だちにも。

大人がうやむやにしてきたことは大人の手でどうにかしておきたい。

今私が表現できていることや、こういう考えや本に出会えていることの全ては、これまで生きてきた人たちが耕し続けて空気を暖め続けていてくれたからだと知ったから。

私のすることなんてとてつもなく小さなことかもしれないけれど、コンクリートで固められた壁を爪でジリジリと削って薄くしておくくらいは、あと一蹴りのところにまで仕上げておくことなら私にもできるかもしれない。

韓国では2016年に起きた江南駅殺人事件以降女性たちが連帯して声をあげているという。この本もその流れから書かれている。

日本でもでもたくさんの人が声を挙げて大きな声になっている。

その声が聞こえたから気づいたり動けるようになった私がいる。

#metoo  と言う声が世界中で挙がっている。

私もその中の1人として声を挙げる。

この本と一緒に。

tababooks.com

 

 

お寺のブログを削除した。

ブログ削除完了

お寺のホームページで私が書いていたブログを全削除した。

去年の春にお寺のHPの中で私のブログを始めて最初に書いた「お寺にいる人の呼び方」を解説した回のものが1年以上経ってもコンスタントに読み続けられていたのだけれど、自分の仕事は「お寺の奥さん」だとか、僧侶のことはこんな風に呼んでみたらとか、今読むと「わきまえた嫁です」宣言でしかなくて自分がえぐられるし、今も読み直してすごく鬱々とした気持ちになったから。

そして自分が仏教界における構造的差別というものの真っ只中にいることがわかった今となっては、このブログは存在自体が僧侶と結婚した女性が枠に収まることを助長するものでしかないし、途中で自分の記事に違和感を感じて訂正した記事のリンクを貼ってはみたもののそちらは全然読まれず。

正直、お寺のホームページの中では常に読み続けられていたコンテンツでアクセス数は常に上位だったし、楽しみにしていると声をかけてくれる方も多かったので迷ったけれど、それでは構造的差別を受け入れて広めることになるし、害にしかならないので全部まとめて消すことにした。

 

「嫁」という装置

「一般からお寺にやってきた女性がお寺で暮らすうちに仏教に目覚めて今では立派に夫をサポートしている」というストーリーはたくさんあるし、私もそうならねばと思い、憧れてさえいた僧侶の妻像だったりするんだけど、仏教界に限らずそういうストーリー、おかしくない? 

お寺が家族経営だという状態を私も「当たり前」に思っていたし、わかっていて結婚した。

でも、仏教やお寺を存続させたいのは僧侶でしょ? その為に女性は仕事をやめて「僧侶の妻」になるのが当たり前って何?

知り合いの僧侶が結婚するとなると妻となる人の仕事の話題になったりもするのだけれど、それを聞くと「辞めちゃうなんてもったいない」と、いつも私が勝手に悔しくなるし、私も僧侶と結婚するから仕事やめようなんて思わずに仕事を続けていたらどんなだったかなぁと考えたりもする。

結婚したら寺族だとかなんとか「それらしき名前」を与えられて「それらしき役割」を与えられる。

それも当たり前だと思っていたけれど、今となっては男性中心の仏教界は良い装置を考え出したものだなぁと思う。妻となった女性に首輪をつけて、鎖で繋いでそこそこ自由にした上でお寺の顔になれと言っているようなものだ。乱暴な話だ。

女性の人生は僧侶の自己実現のために、お寺の存続のために捨てろというのか。

 

大切にしたいこと

仏教界もSDGsだのジェンダー平等だのと言い出したけれど、ごくごく一部を除いては内部のジェンダー問題については絶対に触れないし、そもそも僧侶の数だって男性が圧倒的に多い。

お寺での仕事も妻が心から仏教やお寺が好きでやっているならばいい。「それが」したくて、履歴書を出してでもしたいようなことならば。

僧侶と結婚してお寺の中で活躍していてすごいと思う人はたくさんいる。そういう人を見て勝手に劣等感を抱いたこともあったけれど、ものごとには向き不向きがあって、私には向いてなかっただけのこと。そしてやってもやらなくていいことである。

向いていたらこんなに苦しまなかっただろうと思ったりしなくもないけれど。私はこれでよかったし、気づいた今は最高に解放感でいっぱいなのでこれで悔いはない。

私に私が100%戻ってきたのだから。(それでも物理的には「僧侶の妻」としての制約はある。)

ともかく、お寺を知ってもらうためのツールで私の主張をするのは違うのでもうこれ以上訂正することをやめて、ブログの存在ごと全削除した。

仏教界にとって都合のよいように扱われたくない。

消費されたくない。

 

妻は僧侶の付属品ではない。

 

仏教行事の場やお寺に「妻」は必要か

ブログを消すより少し前に、「お寺なんだから着物着ること多いでしょ圧」を感じて仕方なく持っていた着物も、気に入ってるものと「どうしてもの時用」のもの以外は寄付してさっぱり。

ちなみにどうしてもの時というのは大きな行事のときに「妻」っていう役割で夫の隣でご挨拶したりするやつ。

厳密に言うと、大きな法要に最前列で参加できたり、夫と一緒に偉い(らしいけど正直私はどうでもいい。)僧侶に挨拶に行けたり、集合写真をとる時にセンター近くにいられるとか。

推しのファンクラブ特典だったら最高だ。ペンライト振りまくりだ。

でもそれは、滅多にない体験だとは思うけれど、私にとっては正直嬉しくもないし、なくていい特典だ。家でNetflixでも見ていたい。

だって結婚しただけだもん。

結婚して1度「嫁」になったら最後、私の全権を渡さないといけないのか。

僧侶がたくさんいる大きなお寺の行事で「妻」を見かけるだろうか?

住職の横に妻は必要だろうか?

寺のことは僧侶の仕事じゃないの?

何で妻???

えっ、妻?

妻いる?????

本来は僧侶だけで成り立つことに女性を巻き込むのはもうやめませんか。

そんな訳で夫には、今後はどうしても of どうしてもの時以外は「妻」をやりたくないと宣言し、それでもどうしても of どうしても of どうしても「妻」が必要ならば、別途労働手当が必要だと要求した。

(ちなみに私のいるお寺では、お寺の収入は住職に入る訳ではなくお寺の収入になるので住職の裁量だけで使途自由に使えるわけではない固定給です。どんなに休みなく働いてもです。お寺=家が大きい=お金持ちみたく思われることが多く、結果私もそう思われたりするけれど、お寺は「私財」ではないので例えればマンションの住み込み管理人とかそういうイメージです。そこに代々住み続けるためにも「イエ」や嫁が必要なのでしょう。その話はまたいつか改めて。)


ジレンマを抱えながらも

こんなことを書きながらも私もこの構造の中にどっぷり身をおいて生活しているというジレンマがある。ここで生活をしている。住み慣れた場所でもあるし、ここで働いている。仕事の中に楽しみを見つけてしまった。ここでの暮らしに慣れてしまったし、今はそれなりに気に入ってしまった面もある。また変わってくるだろうけど。

これがまた妻たちが声を挙げづらい理由の1つなのではないかとも想像する。私がそうだっただけだけれど。

だからといっておかしいと思ってはいけない理由もないし言っちゃいけない訳でもない。どっぷり浸かっていた&いるからわかったこともある。

色々わかってきたらこそ、今まで自分が悪いと思っていたことがほぼほぼ構造のせいだとわかってきたので自分がとても楽になったのだ。

正直、ここで小さな声をあげたところで何かが変わるとは思っていないけれど、それでも私はこの構造にNOと言い続けていきたい。