きのこの部屋

読後メモやお寺の中のジェンダーなどなどについて書いてます。

初めてK-POPを好きになった私が読んだ「『日韓』のモヤモヤと大学生のわたし」

 

それはある朝突然に…


5月のある日、何気なくつけていたテレビから流れてきた「Butter」のMVをみて一瞬でBTSにはまった。言葉がわからないから映像を見るときは手を止めてみるし、色々なエピソードも自分から取りにいかないと入ってこない。そんな毎日が楽しくてしょうがないし、身体の調子も明らかに良くなったみたい。今までと生活パターンが変わって、それまでどんな生活をしていたのか思い出せない。

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それまでもテレビの音楽祭などは娘たちと一緒にもれなくチェックしていて、昨年夏にBTSがFNS歌謡祭に出たときには「ダンスの完成度の高さやお化粧ばっちりでかっこよくて隙がない。歌が上手とかいうのが失礼なくらいレベルが高い。好きとか嫌い関係なくかっこいい。非の打ちどころがないくらいにかっこいいけれど、完成度が高すぎて存在が遠い。」とかなんとか話していた。

 

この時点でだいぶ何度もかっこいいって言ってる。

 

「STAY GOLD」はふつうに良い曲だなーと思って口ずさんでいたし、何より音楽番組で座って歌っている姿に驚いたことを覚えている。踊りがすごいと思っていたBTSが踊らなくてもこのクオリティってほんとすごいと思って、今映像を見返すとリアルタイムで観ていたとき記憶が蘇る。

 

「DYNAMITE」もあのコロナ禍で窮屈になっていた気持ちが無条件に楽しくなる感じがあって、これまたサビだけ口ずさんだりと、今思うとじわじわときていたのかもしれない。


 
周りを見回すとK-POPや韓国ドラマにはまった友人たちのはまり方がそれはそれはにディープに見えて、一歩踏み込んだら私もどっぷり浸かることは目に見えていたので何を勧められても見ないようにしていた。見ないようにしてる時点ですっごく意識が向いちゃってるけど!

 

そしてその瞬間は突然にやってきた。

 

その日から3日間、二人の娘を巻き込んでメンバーの名前を覚えるところから始めた。色んなMVを見まくって髪型や髪の色が変わっても遠目でも誰だかわかるようになった。

 

それからMVにインタビュー動画、ライブ映像にプラクティス動画やおもしろ動画。とにかく何でも見まくった。うっかり見始めてしまったドキュメンタリーの「Burn The Stage」は二話以降You Tube Premium会員しか見られないと気づき、即座に無料お試し登録した。

 

そうやってBTSを知りたくて色んな動画を見ているうちに流れてきたのが、メンバーが好きな日本のアーティストについて紹介しているものだった。そこでラップラインのメンバーが何人かのラッパーを挙げていて、私も詳しくはないけれど彼らのインタビューを読んだりとかはしていたので、結構ハードなのを聴くんだなと思ったのだった。

 

「すごくかっこいい」だけじゃないかも


この時あたりから、BTSが日本で言う「アイドル」としての完成度がとんでもなく高くて面白いうえにとてつもなくかっこいいグループというだけの認識(つまりこの時点でパーフェクト!)から、それだけじゃないって思うようになり、さらに色々見ているうちにSUGAのソロプロジェクト、Agust Dに辿り着く。

 

いやもう '대취타' のMVのかっこよさ。

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好き。

 

大好き。

 

これがあの「生まれ変わったら石になりたい」人なのかと驚いた。他の曲も聴いて日本語訳を見て、あのBTSの活動と、このAgust Dの音楽が同時進行で発表されていることに衝撃を受け、次にBTSの楽曲の歌詞の日本語訳をあれこれ見始めると、それまでの認識をすっかり改めることになった。

 

さらにはSUGAがマリーモンドのアクセサリーを付けていたことや、高校生の頃に広州民主化運動をテーマに曲を作ったことがあるとか、BTSの「MAMA」という曲の歌詞の中では事件のことが描かれているとか。

 

BTSのメンバーが読んだ本の中にも事件をテーマにした「少年が来る」があったので、すぐに「少年が来る」を読み、Netflixでマイリストに入り続けていた「タクシー運転手」を観た。

 

ちなみに私が去年読んでとても大切にしてる本「82年生まれ、キム・ジヨン」も入っていてとても嬉しかった。先輩ARMYの友人からは「Spring Day」がセウォル号事件のことを描いたものだと教えてもらい、彼らや彼らの作り出すものへの信頼がどんどん増していった。

 

もちろんそういうメッセージ抜きでもエンターテイメントは成り立つのかもしいれないけれど、感情が動かされたり考えたりするものだから、作品に込められたメッセージや作品を作る側の人間性は私にとっては欠かせない。

 

何年か前のTシャツ問題のことは当時も知っていたけれど深追いはしなかったし、日本の加害の歴史とセットで取り上げてるメディアが少なくともその時の私の目には入らなかったのが何だかなぁと思いつつ、騒ぎになっちゃてるなぁくらいに見ていた。

 

ハングルの勉強を始めたら噴き出してきたもの


今回BTSを好きになったこの機会にハングルの勉強をしてみようと思い、勢いに乗って「Learninng Korea With TINY TAN」という教材を購入した私は、基本の文字の読み方を覚えるのに丁度いいからとメンバーの名前をハングルで書き出して読む練習をしてみた。

 

今思うと私の小さな頃は日常が差別用語であふれていて、私も差別用語を何も知らずに使っていた。メンバーの名前を読み上げたとき、そんな記憶が噴きだして言葉にできない気持ちが押し寄せた。

 

私にとってBTSは無条件に大好きで楽しくてたくさんの幸せをくれる存在だけれども、私の中でくすぶり続けていることとは切っても切り離せないことだとはっきりと自覚した瞬間だった。

 

私は40代。小学生のときから電車を使って通学していた私はチマチョゴリを着た女の子たちを見かけるたびに、なんて可愛いんだろうと憧れの眼差しで彼女たちをみていた。

 

けれど、何年も経ったある日、チマチョゴリを着た女の子のそれが切り裂かれるという事件があり、電車の中でチマチョゴリを見かけることはなくなった。その時は歴史もなにも知らなかったけれど、ことの理不尽さに何とも言えない怒りを覚えた。

 

一方で当時の私は、テレビを通じての印象から、「北朝鮮はなんて怖い国なんだろう」「どうして韓国の人っていつも怒っているんだろう」「いつまでも日本を糾弾してばかりだな。」というような印象を持っていた。普通にお茶の間に流れているニュースからはそんな映像やメッセージばかり流れていたから。

 

その後サブカル好きになっていった私は、そちらからの発信で徐々に戦争や差別、日本の加害の歴史を知っていくようになる。

 

学校で勉強する時期には全然勉強していなかった私は、大人になってから歴史を学んで日本の侵略の歴史や慰安婦問題などを知った。学校の教科書でみかけていた単語が血の通ったものになり始めた。

 

「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし


BTSにはまってから、ファンの間では「日韓」関係のことってどんな感じなんだろうと気になっていたところに「『日韓』のモヤモヤと大学生のわたし」(編:一橋大学社会学部加藤圭木ゼミナール、監修:加藤圭木、大月書店)という本に出会い、早速読んでみた。

www.otsukishoten.co.jp

 

 

本には「日韓」の歴史についてとても丁寧に書かれているし、学生たちが体験したことや考えたことから感じたモヤモヤやについて飾らない言葉で思ったままに書かれていた。

 

「日韓」について知るための入門書としてもこれまでにないタイプのものだけど、それ以上のものだと思う。

 

これまでにも積極的に知ろうとして学んできたし、「少しは知っている」と思っていたけれど、そんなものがまったく浅い考えだったことに強烈に気づかされた。

 

一冊を通して「日本の植民地支配による人権侵害」という視点から全くブレることなく逃げることなく書かれていて、南北の分断、対立、韓国で長く続いた軍事独裁政権、兵役、性差別もすべてのもとは「日本の植民地支配から始まっている」と書かれている。

 

その視点がすっぽりと抜けていた。自分がいかに他人事だったかということだ。ほんと、バカだ。

 

恥ずかしいから隠しておきたいけれども、たぶんこんな自分に気づけたことが私にとってこの本を読んだ最大の意味なので書いておきたい。これからの私のためにも。

 

日本国内でいえば朝鮮学校への差別、在日朝鮮人への差別、韓国や北朝鮮に対する偏見、差別。ヘイトスピーチの数々。私が気づかないで見過ごして加担している日常にあふれる差別もたくさんあるだろう。

 

植民地支配そのものは過去のことだけれど「日本の植民地支配による人権侵害」はずっと続いていて何一つ終わっていないのだ。

 

正直自分が恥ずかしくなるし、今回この本を読んで認識の甘さに悲しくなったりもしたのだけど、私がそんなことを言っている場合ではない。

 

「特権」と「連累」


本の中にはこんなことが書いてある。

「歴史や政治の話をするのはよくない」とか「中立でいるのが一番いい」と言っていられるということは、「逆に言えば歴史や政治を意識しなくても生きていける環境にあるし、よい人生を送れるという選択肢、つまり特権があるということ。」


立ち止まってそのまま立ち止まり続けることができえしまうのだって「特権」なのだ。


じゃあどうしたら、という疑問には本の中に紹介されているこんな言葉が応えてくれた。

 

「連累(れんるい)」

 

初めて聞いた言葉だけれど、オーストラリアの歴史学者テッサ・モーリス=スズキさんが提唱する概念で、

「現代人は過去の過ちを直接犯してはいないから直接的な責任はないけれど、その過

ちが生んだ社会に生き、歴史の風化のプロセスには直接関わっている。」

 

そして

 

「過去の不正義を生んだ『差別と排除の構造』が残っている限り、現代人には歴史を風化させずに、その『差別と排除の構造』を壊していく責任がある」


というもの。

 

数年前のこと、大好きな沖縄への何度目かの旅行のときに、沖縄に基地が集中しているのはおかしいとは思いながらもそれが当たり前のことだと思っていた自分に気づいた。

 

そんな私はやろうと思えばたった今から歴史のことも政治のことも考えず、話さずに生きていける「特権」を持っている。というか2011年まではほぼほぼそうしてこられた。それが「特権」だと気づかずに。

 

だからこそ、私は自分が特権を持っているということに向き合いながら「差別と排除の構造」を壊していく責任がある。

 

本当に大切な一冊に出会えた。