きのこの部屋

読後メモやお寺の中のジェンダーなどなどについて書いてます。

読後メモ「私たちにはことばが必要だ~フェミニストは黙らない」

またまた素晴らしい本に出会ってしまった。

とてもとても暖かい本。

優しい本。

寄り添ってくれる本。

抑えていたことばを引き出してくれる本。

そのことばを発することをためらっている時にはすぐに駆けつけて背中をさすりながら手を握っていてくれる本。

言えないでいたことを言えた私にハグをしてくれる本。

疲れたら毛布をかけてくれる本。

 

ことばの力

この数年、その時その時の思いを言葉にすることで先に進むことができる、という体験を繰り返している。

私はある悩みから傾聴カウンセリングを受けるようになって、ただひたすら寄り添って私の思いを聞いてもらうという経験をした。そして今は稼働してないが、聴く側である傾聴カウンセラーにもなった。

それが少なくとも私にとっては人生がひっくり返るような体験で、ただ思っていることを飾ることなく遠慮せず口にして、ジャッジされることなくただ聴いてもらう。

最後には「私、本当はこうしたかったんだ。」「これが嫌だったんだ。」っていう気づきがあったりして、ただ話して聴いてもらうだけなのに、そのあと本当にしたかったことが実現していくのだ。

「ただ」ってさらりと書いているけれど、その「ただ聴いてもらう」ということの威力はすごい。思ったように自分のことを言えることって現実を動かすとてつもない大きな力になるのだ。

私が自由になっていく過程で傾聴カウンセリングは欠かせないものだった。

なんでこのことを書いたかというと、この本の最初に著者のイ・ミンギョンさんが日本の読者に向けてこんなメッセージを書いているから。

 

「自分の話をするためでなく、一度もさえぎらずに話を聞いてもらうという時間をみなさんに感じていただきたくて、この本を書きました。私という聞き手に向かって、これまで口にしたことのない思いをまっすぐことばにしてみる。そんな時間を過ごしていただければ幸いです。」

 

 

読み始めてすぐに出てくるこの言葉に、本当に寄り添って聴いてもらったことのある自信がある私は正直、本でそんなことが出来るのかと思った。

よく考えたら本って必要な時に寄り添ってくれる存在でもあるけれど、その時はそういう概念が私の頭の中になくて、冒頭で明言していたことに驚いたのかもしれない。

(本が寄り添ってくれるものということに気づいたのも収穫だ!)

読み進めていくと、小さな部屋で著者のミョンギョンさんと心地よい沈黙もありつつお話ししているみたいな気持ちになった。

私のことばをじっくり聴いてくれるし、答えを待ってくれるし、答えなくてもいい。私のことは私が決めていいんだとそっと教えてくれる。

口にしたことのない思いをことばにすることをじっと見ていてくれる。

本当にそんな本だった。

 

変わること

最近の私はもっぱら自分の立場について考えたり、少しでも変えていきたいと思って日々過ごしている。

私が無自覚にそうあるべきと思い担ってきた「女性」という重荷を、自分や身近なところから削り取って捨て去る作業だ。

ただ捨て去るんじゃなく、その過程も記録しておきたいと思っている。

重荷を背負っていることに最初から気づいていたわけではないので、振り返るとあれはわきまえるっていうやつだったなぁーなんて思うこともあるけれど、私にとっては今の気づきのために必要な段階だったので否定はしない。

ほんの1年前とは違うことを考えているし、数年前となると今と真逆のことを考えていたりする。

その時はそれが正解で、それでも他の人の意見を聞いたり本を読んだりして自分のペースで変わってきた。正しいかどうかもわからないけれど、私は淡々と私のことをするだけだ。

人が変わる可能性というものを自分を通してみてきたし、選ぶ方向も方法も人それぞれだ。もしも180度違う考え方でも尊重しあえたらいい。

だけどそれでは済まない場合もあるのでそんな時は声を出すし離れられるものならば離れる。離れられないときは嫌だと思う気持ちをちゃんと持つことにしている。

女性という役割を無自覚とはいえ望んで演じていた私が考えを変えていく過程も、ある人にとっては希望だと思ってもらえるかもしれないなんて思ったりしてる。

 

記録すること

記録は大事だ。

だって記録しておかなかったら「あったこと」がどうやってこの世から消えていったのか、今ここに「ない理由」がわからなければ、いつかまた目の前に大手を振って現れるかもしれないから。

(だから歴史や事実はねじ曲げてはいけない。)

私がもともとどんな風に女性の役割を受け入れてきたか、どうやって気づいてどうやって捨てているのかをちゃんと記録して残しておかないと、まだまだ男女平等とはいえない社会ではあっと言う間に元に戻ってしまうだろう。

 

私にはことばが必要だ。

私自身がまだまだ古い価値観に囚われているから、自分で書き留めたものを読んでは消した方がいいかもしれないと躊躇したり、消したり書いたりを繰り返す。言っても良いことなのか悪いことなのかと何日も考えたりする。先に進んでいる人たちからは全然違う!とか言われるんじゃないかとすごくドキドキする。

それを小さなコミュニティながらも発表するとなると「言いすぎたかもしれない」「こんなことやめた方が楽かもしれない」などという考えが頭をグルグルかけめぐる。

そんな時にこの本が駆けつけて一緒にいてくれるのだ。

正直楽しいことだけ話していたい。

でも本当に心から楽しむためには、声を挙げることも私にとって必要なことなのだ。怒ることも必要なことなのだ。

理不尽なことがあったとき、うやむやにして笑顔でやり過ごすという手もある。でもそれをしていると次の世代にも同じことをさせることになる。

自分のこどもには同じ思いをさせたくない。
こどもの友だちにも、その友だちにもその友だちにもその友だちにも。

大人がうやむやにしてきたことは大人の手でどうにかしておきたい。

今私が表現できていることや、こういう考えや本に出会えていることの全ては、これまで生きてきた人たちが耕し続けて空気を暖め続けていてくれたからだと知ったから。

私のすることなんてとてつもなく小さなことかもしれないけれど、コンクリートで固められた壁を爪でジリジリと削って薄くしておくくらいは、あと一蹴りのところにまで仕上げておくことなら私にもできるかもしれない。

韓国では2016年に起きた江南駅殺人事件以降女性たちが連帯して声をあげているという。この本もその流れから書かれている。

日本でもでもたくさんの人が声を挙げて大きな声になっている。

その声が聞こえたから気づいたり動けるようになった私がいる。

#metoo  と言う声が世界中で挙がっている。

私もその中の1人として声を挙げる。

この本と一緒に。

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