きのこの部屋

読後メモやお寺の中のジェンダーなどなどについて書いてます。

読後メモ「はじめてのジェンダー論」

私は何の疑いもなく女性として生きてきて、何だかんだと割と自由に生きてきたつもりだ。

ただ、僧侶である夫と結婚してからは何から何までしんどくてしんどくて、でもまぁ私はもともと生きづらさを感じてながら生きてきたし、慣れないことしてるんだし、こんなものかな、体力つけて自分の気持ちを良い方向に向ければ生きづらさも解消されていくだろう…と思っていた。

 

 

これってもしかして。

でも数年前のある日やっと気づいたのだ。

このとてつもない長年のぐしゃぐしゃなモヤモヤはもしやもしやこの所よく耳にするようになった「ジェンダー」問題から来てる!?

結婚してから20年近く経っていた。

色々とかいつまんで学んできたことがバチンバチンととかみ合わさった瞬間だった。

今思うと気づきの種はたくさんあったし、自分でも薄く(その時は真剣に)口にしていたけれど、自分と完全に重なるまでに随分時間がかかった。でもそうやって自分に落とし込むまでに時間がかかるのも私の良いところだと思ってる。ぐるぐる巡っていた私も愛おしいよ。大変だったね。よくここまで頑張って来たね。

 

苦しかった訳だよ。

振り返ると身体が女性というだけで、社会的に作られた女性という枠に収まらなければ、仕事の面でも家庭でもその役割をせねばと思いこんでいた。

結婚、出産してからはしょっちゅう寝込んでいたし眠れなくなったりもしたし心療内科にかかったこともあった。夫が仕事で日中は不在の中での完全同居、僧侶の妻で寺の嫁であるという仕事も込みの完全同居だ。寝る前にはほとんど毎日「私がここに慣れなれないから」と泣いていたし、夢の中で「こんなの嫌だ!」って叫んでその声で起きたりもしていた。書き出してみるとすぐに家を出る案件だ。

とにもかくにも当時は生命維持でいっぱいいっぱいだった。

心の奥では何一つ納得していなかったのに、そんな気持ちをガン無視していたから身体と心が全力で抵抗していたのだ。

何になろうとしていたんだろう。

私はずっとここにいたのに。

私が気づいてあげられなかったのだ。

今となっては何もかも合点がいく。

母らしさとか嫁らしさとか妻らしさとか。何一つ必要なかったのに、心の底では望んでなかったのに、そうしなきゃって必死だったのだ。

長いことごめんね私。

気づくのにずいぶん時間がかかってしまったけれども、ジェンダーギャップ激しめの日本では無理もなかったと思ってる。

だって生まれた時からどっぷりとそういうシナリオの中で生きているんだから。

そしてそのシナリオにどっぷり浸かって良い塩梅(または良い塩梅風)の時は、周りの色々を見ても聞いてもぴんと来てなかったなぁ。

自由でいる人の発言や行動は嫌いではなかったけど私とは違う世界の話だと思っていた。そしてそれが社会の仕組みの話とは思ってなかったし、個人の考え方の話だとばかり思っていた。

苦しかった時間が社会の仕組みのせいだったならば、私もその仕組みを変えていく1人になりたい。一番身近な私の娘たちの為にも。

 

誰かが作ったシナリオを書き換える作業。

だから私は私で今解放されつつある私を楽しみつつ、私を解放してくれた言葉たちを身体に落とし込んで自分の言葉にしつつ、その言葉をちらちらと外の空気に触れさせつつ、そしてたまには炭酸水を作るがごとく穏やかな水面にストローを刺してブクブクと大放出してみたり。

そんな風に毎日を過ごすのが私の仕事だと思うのだ。

誰かの都合に合わせて作られたシナリオを書き換える作業をしているのだ。

シナリオが変われば個人の意識も変わっていくし、個人の意識が変わればシナリオだって変わっていく。両方必要なことだから。

先人たちもずっとそういう作業を続けていてくれたのだ。

シナリオに付箋を貼ったり蛍光ペン引いといてくれたり、卜書を書いておいてくれたり、そういうものを私もチラチラと目にしていて、私に気づきを促し続けていてくれていたのだと今になってやっとわかった。

私には誰かを変えるような力はない。でも仲間は多いほうがいいに決まってるから、どうしたら仲間が増えてこの不平等を終わらせることができるかなぁと考えるのだ。

なのでこうして自分に起きてきたことを置いといてみる。

こんな考え方に出会って、こんなに誰かに遠慮してたってわかって、それって自分のこと大事にできてなかったなぁとわかって(そしてそれもその時の精一杯だったってことも抱き締めて)、そしたらとっても自由になれて、こんなに楽になれたんだって、こうしてブログに残してみたり、友人たちとおしゃべりしてみたりすることかなぁと思う。

一応言っておくと結婚してからしんどくなった私は夫に偉そうにされていたとか何かを押し付けられていたということはないんだけれど、私と夫とで無自覚にやっていた役割みたいなものがある。それはすごくある。すごくすごくある!!

今はそれらを解体している所だ。まだまだこれから解体しなきゃいけないことはたくさんあるけれどね。

そして何故わざわざ夫とのことも書いておくかというと、こういうことって無自覚に容認して無自覚に再生産してまうことがあるということを記録しておきたいのと、間違いなくまだまだ誰かが作った枠に囚われている私への自戒。

 

「はじめてのジェンダー論」が気づかせてくれたこと

フェミニズムに出会って日々目から鱗をポロポロと撒き散らしている私。最近「はじめてのジェンダー論」という本を読んでみた。

この本ではそもそもジェンダーって何だ?というところから始まって性差とは?性別とは?何をもって女なのか?何をもって男なのか?男って何?女って何?ということをとても丁寧に、かつ軽やかに紐解いてくれた。

性に関するあれこれを解体してくれた。

この本を読んでしまってはもはや男、女という概念があることに無理があるように思えてくる。

男と女って確固たる何かがあっての分け方なのかと思いきや、この本を読んだらそんなに雑に分けてたんかい!っと突っ込まずにいられない。こんだけ人間がいるんだから一人一人にフォーカスしてけば良いだけなのに…。雑なんだよ…。雑っていうか悪意だよ…。乱暴だよ。野蛮だよ。

誰かがとんでもなく小さな枠で人を分けて、人々をその範囲に閉じ込めていたんだな。

世界はもともと多様でしかなかったのに、誰かの妄想の範囲内で人間をカテゴライズしてきたのがこれまで。(だから多様性って言葉も怪しく思えてきたぞ。)

1人ひとりがその時々在りたいように生きるのは生まれながらの権利で、それを誰かに許可してもらうなんてナンセンスにもほどがある。

そのままで生きることや生まれながらの権利に対して許可するしないという発想の不条理や罪深さにもっと視点が集まるべきと思う。

こんなに野蛮なことが起きていることにもっともっと怒るべきだ。

私が生まれたように生きたいようにその時のそのままで生きることに遠慮もいらないし許可なんていらないはずなんだ。

誰も枠に閉じ込められちゃいけなかったし、誰も在り方や生き方をジャッジされちゃいけなかったのだ。これからもそんなことが許されちゃいけないのだ。

生きたいように生きられないのがおかしいんだよ。

 

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